ほなさいなら

きーつが今日6じ38分にさいならといってしまった。
昨夜3回強い引きつけがおこったので今日もそんなだと安楽死したほうがいいかなとおもったけど、きょうは朝からずっと寝てたのでそのまま様子みてた。
夕方からまた引きつけがはじまって、でも昨日くらい全身のきついのではなかったので最後まで自然にした。
きーつが引きつけでくるしんでるとき
くるしむことにどんな意味があるのか頭が考えだした
苦しい本人と、そばにいてくるしい人と
くるしみは、その経験を強く胸の中にのこすようにある事柄のようなきがする
なにかををなくする苦しみは
そのものと共に消えてなくならないけど
それだから、亡くなったなにかにいつまでもありがとうと思えたりできる
ひとりひとりと、ささえがなくなり、そのときどきにしずかに産まれるものは
その関係性のなかでずっとつづき成長してゆく
苦しんでるのが自分なら、そこにはきっとまたそれをみて苦しんでる人がいる。
苦しんでる本人と、それ見てるひと、それがつながりことがらがうまれる
たすけてあげようとしたり、いろんなことしてみたり。
そういうふうに考えると、苦しむ事もあるべきしてあるといえるし
くるしみの種まいてる自分のことも外からみれるようになって
しっかり感謝せななっておもった
色んなかたちで、今まで心配し元気をくれたりいろんな情報をおしえてくれたみんなにわたしたちは、こころから感謝しています。
きーつととよも