ねこのおじさん高橋榮さんと人生の急カーブ

『なぜ、面白くない仕事つづけてるの?』
これは、とよもが大阪デザイナー学院を卒業したあと就職したデザインスタジオで始めての大きな撮影を経験した時に、知り合ったフォトグラファー高橋榮さんから質問された事。
たぶんそこで働き始めて10年以上たったときだったとおもう。
仕事はきつく、深夜にタクシーで帰って、おふろはいって、弁当つくってると出社の時間みたいな生活をつづけてた。仕事の途中で具合がわるくなって、近所の病院で点滴してすぐに仕事にもどったり、それでもそのことに何の疑問ももってなかった。いい仲間がいたから楽しくもあったけど。
夜中まで働くのがあたりまえ、会社に入ったら長く続けるのがいい。他の人が残業してるから自分が終わっても帰らず手伝う。そんな世間で言う常識に覆い尽くされて。
そんなとき、『なぜ、面白くない仕事つづけるの?』ととわれて
えっ?とかたまったけど
そうかもと
就職活動はじめた。
好きとおもうグラフイックデザイナーのところに作品と履歴書おくって(そのころは若かったからか、有名という事に憧れてた)、当時のあこがれアートデレクター奥村 靫正さんのスチューディオトウキョウジャパンにも面接に行ったけど、とよもはずっと下見てたので、奥村 靫正さんのくつしたがサン•ローランだということしかみてなかった。それでも、奥村 靫正さんはとよものもっていった作品の絵を、素材にしてポスターにするとか、自分の作品をデザインしてみせるといいよ。今僕の会社はもう決めている人がいるから、採用できないけど、中畑の所紹介しようか?とまでいってくれた。中畑とは当時糸井重里と共に、売れっ子コピーライターであった仲畑 貴志さんことだ。
当時はなんでコピーライターの所で仕事せなあかんのっておもって、紹介してもらわなかったけど、今考えたらすごいオファーであったなぁ。。。
面接で一緒に待ってた男の子は、バタアシ金魚という演劇してるんですといってたなぁ。誰だったんだろう。
そうこうしてるうち、地元の大阪でひとつ、いいなぁとおもうbody plusというスタジオがあって、人募集してませんかと電話すると、ちょうど人がやめたとこ(そのやめた人はそのあとUAになった)なので募集しようとおもってたんです。ということで就職できた。
そのbody plusでオーストラリアロケというのがあって、ここに来るきっかけになった人、Brett Hilderにも会えて、高橋榮さんの一言によって、とよもの人生が急カーブをきった。きききっー
それと、もういっことよもが初めて作品つくったきっかけも高橋さんだった。
当時高橋さんからお借りした、ポジフィルムを無くしてしまった、そのとき高橋
さんは、いいよべつにって。。。
それで、とよもは、真鍮の針金でちいさな猫を抱く高橋さんを創ってプレゼントしたら、いつもはすごい威圧的な高橋さんからふっと気が抜けて、似てるねってちょっと笑顔になったような。。。
そのちがいを体全体で感じてはじめて自分の創った物が多分人のこころ動かしたんだっていう体験をした。その体験はいまのとよもの作品のなかでちいさくつづく力になっていることは確かだ。
去年の10月に大阪で働いてた会社のともだちから、高橋栄さんが9月23日に永眠されましたとお知らせが。
そして今日youtubeのなかにみつけた高橋さん。
昔大阪で仕事してる時は大好きな飼い猫ぐりさんをいつもつれてきてた。
ぐりさんは、下半身がうごかないので、おしっことかだしてあげないといけないから。
家でもたくさんの猫と一緒にくらしていたみたい。
きっと猫達もいっぱいの感謝の気持ちもちつづけてるとおもう
ねこのおじさん高橋さん。
たくさんの猫ととよもを救出してくれてありがとう。
感謝。
自分しか運転できない自分の人生、好きな方向にカーブきりまくれ。きききっー
https://www.youtube.com/watch?v=cFXPRGj4tI4

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