インドの聖者がやってきた


朝起きたら、インドの聖者が語りだした。
昨日の夜に大和田菜穂さんの説明するノン•ディユアリティという考え方をYOUTUBEでみた。
世界は一つのエネルギーでできていて、そのエネルギーがいろんなものに形を変えて現れているだけ、思考は単なる言葉つねに変化するもので、それを現実として認識しているけど、ほんとうは感覚が言葉になっただけ、思考は変わらずおこるけどそれを自分に対して個人的に理解すると収縮=苦しみになる(これは今一般敵に人間がしていること)。
いままでよく聞いてきて、いまこことか、ワンネスとかとおなじことだろうけど、ノン•ディユアリティには、自分は存在しない、体と空間はつながったひとつのもので、それが形という岩礁で見えてるだけ、ほんとうは一つなのに、自分が一つの個として分離している感覚があるから、つねに何かをもとめるのであーるということらしい。
普通の考えでは、えっ!どういこと?自分は存在しない、イリュージョン?とおもうよねぇ。
でも、過去にかいたスペリー博士の言葉にも今みてみたら、同じような事が
博士からのメッセージは、意識についての新しい考え方から、この世界と人類についてを見つめ直すべきだ、というものだ。物質的な力、つまり分子や原子の働きからは、私たちの脳のモデルは描ききれない、それは部分のレベルであって、全体的レベルからの部分のレベルをコントロールする意識というものを考えなければならない、と博士は強調する。
私たちは、物理・化学的な力が自分のからだを活動させていると考えながら、一方で、意識が自分の行動を決めるとも感じています。『いままでの科学は、部分レベルの見方に片寄り過ぎていた。部分と全体とは、つねに相互関係をもつものでありながら。私たちの世界は、原子の物理学だけでなく、人間の批判的な価値観によっても影響を受けるのです』意識や価値観について語るとなると、哲学などの人文学に近づいてゆきますね。あるいは宗教にも。『新しい意識の考え方は、それぞれの矛盾しない世界観のなかで統合してゆけるとおもいます。また、それが望ましいことだと、私は思う』
博士のいまのお考えから、21世紀への希望をお聞かせください。『私たちは21世紀を守る目的で、科学に目を向けなければならない。この世界を保持し、より高め、破壊することなく、長期的に生命圏を進化させるようなガイドラインをつくること。意識とは、そのためにある創造の感覚なのだから』
 
うーんわかるようで、わかっていないようで。。

“インドの聖者がやってきた” への4件の返信

  1. この間、Youtubeでタケシとかやくみつるとかゴーマニズムのおっさん(名前忘れた)が憲法第九条の事を話してたんだヨ。
    実は、憲法第九条改訂には、少しだけ同意出来ると思っていたンだわ。
    やくみつるは戦争には絶対行きたくない派でゴーマニズムのおっさんは、日本は戦後からずっと『敗戦国』として扱われているので九条を改正しない限り、これからも自立出来ない敗戦国のままの位置にいるって言ってた。
    自分の国を守る事は大切な事。他国の侵略に犯されているのに「戦うのは嫌なので、他当たって下さい」とは言っていられない。私は彼を素直だけど自分勝手な男だと思ったよ、きっと守る対象がないからなんだろう?とね。
    でも、赤紙召集令状の様に国のためと、無理に若い人達を戦地にかり出すやり方にも問題がある。
    だから、自分や家族を守りたいと思う人だけ戦地に行けばいいと思うよ。
    誰だって戦争はしたくない、自分はおろか他人を殺めるなんて気が狂いそうになるほどショックな事。
    でもさ、この年に成ったから言えるんだけど、もし世界がまた戦争を始め、国が自国防衛の為に人が必要なのであれば、私はそうする。
    それは、たぶん自分や愛する人を守るためと軽卒かもしれないけど月並みな意見を述べておく。
    自分を守ると言っておきながら死地へ赴くのって矛盾してるけど、この場合の自分とは肉体の事でなくてinsideの自分の事。
    テレビでの彼らの話を聞いていて「どうでもいいじゃン。そんなにアツくなるなよ」と思った。考え過ぎだと。
    なぜ、こんなコメをココに残すのかって言うとね、
    以前も他の場所で伝えた事だけど、
    「人は考えたり意識する事を『やみくもに肯定』しすぎてるんじゃないかな?」って事。
    深く考えたり、意識する時間を少し減らしてみようと提唱したいのです。
    それらは、自己の欲から産まれて来る所業なので、できるだけ日常ではやらない様にするの。
    平たく言えば、「なにも考えない」「自分の気まぐれ」で生活してみませんか?って事です。
    風の向くまま気の向くまま?
    私はこれから外に出てお散歩してきます。ちょっと曇り空だけど、ココよりずっと暖かいので。
    じゃあ、またネ。

  2. 自信、愛、喜びみたいなモンを自分に与える事?
    全ての自分を受け入れているのかもしれない。分かんないけど。
    社会的(他者)から自分を見られる事を意識しなくても、社会や他者は自分の思慮とは関係無く適当に扱ってくれるので、他者から見たらエゴに見られる場合もあるけど、まずは自分優先。
    私は今迄、誰かに愛されたいとか評価されたいと思った事はあるけど、自分に愛されたいとか評価されたいとはあまり思わなかった。
    だって、それは単なる自慰であり自分を甘やかす行為に過ぎないと思っていたから。
    でも違ったヨ。
    以前より自分を褒め、励ましていたら頭や心が勝手に気を抜く様になったヨ。
    肩の力を抜いて、ボワっとした意識の中で次のステップを決めた方が体が勝手に前へと進んで行くんだわ。
    普段、徒歩していると考えはしても足とか体は勝手に前へ進むでしょ。
    だから、自分の進む方向への決定権を頭とか心だけでなく、足とか体にも与えている?と言えば良いのかな?
    なんかヘンだけど、今の方が精神的にも肉体的にも安定してるみたいなのだ。(笑)
    でもね、ほんとフツーーなんだから。今迄と別に違った生活をしてる訳でもないし、心が広くなったとか、少し賢くなったとか、覚醒してもいない。

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