前回の本当の自分に出会わないまま人生を終る件について、とよもは自分でもそうなんとちゃうかなって思いながら書いてた。ほんで今日、ほぼ日で糸井さんが書いてた事読んだ
今回のオリンピックでも、
何人もの選手たちが、じぶんなりのやり方で、
「心配ない」をつかむようすを見ていた。
たとえば、女子卓球の三位決定戦。
伊藤美誠選手が勝って銅メダルが決定したが、
あのときは、次には石川佳純選手がいる、ということが、
思いきりのいい試合をできる支えになっていた。
さまざまな競技のなかで、そういう場面は多かった。
男子400メートルリレーのバトンは、
受ける選手と渡す選手が、相手の動きを信じきることが、
すばやく確実なパスの方法なのだという。
じぶんのことも相手のことも、信じきって
「心配ない」というところまで練習してきたという。
自分を信じ切る、相手を信じ切る。
しかしながら、信じ切るって、どうやったらええん?
”全ては自ずとから決まっている事それにゆだねればいいんじゃよ”。神の声
でなことで。信じ切るということは
今起こったことは、もうきまってることやから
身を任せるほうがお得ということらしいてす。
身を任せるとは、ほんまおもたそのままで
こうしたら怒られるんちゃうかなとか
こういうたら嫌われるんちゃうかな
こうしたら、皆が自分を好きになってくれるんちゃうかな
とか
そんなこと考えんと。ほんまそのままの気持ちを勇気を出してゆうことで始まるらしい。
それが心配無いで〜ということになるらしい。これって糸井さんの言うてる極限まで練習してして心配ないというとこまで持っていくのとは違うけどね。
闇雲に信じ切るというか、起る事しか起らないからどうしようもない、それでそれは全て必要な事で誰の責任でもないのかなぁ。。。