鼻先にちゅんとつめたい針先くらいの感触でおきたらマロンが鼻つけておこしにきてた。窓の外見るとピンクと水色で染まってる。あーキーツが病気の時は毎日違う朝焼けをマウントクーリンガイでみてたなぁ。それは1分もたたないうちに普通の曇り空に変わる。写真撮ったら177枚目になっててそれを自分のメールに送ったのが5時55分とtop of the worldのマロン
おこめはこしひかり
空間が開けてる白キッチン床はひんやりベージュの石?そんなとこに立って、お皿とか洗ってると、とよもはどこかの奥様みたいな気分で、なんかそこはかとない幸せがこみあげてくるやんか。
やんわりはいってくる風にのってきゅっほっほーと鳥の声、窓辺にあるおっきな3階建ての猫タワーにはちょっと気難しがりやさんになってたマロンという猫。日が差し込むベランダにはハンモック。そこにねると微妙に続く地球の腕のなかにいるような横揺れ。はだしのあしを今日の太陽の光がぬくくしてくれてる。
ここにある、お米つかつてね、と言われたお米はこしひかり。やっぱり美味しい日本のおこめ。おにぎりにしても次の日でぱらぱらカチカチにならずおいしい。炊きたてご飯と冷蔵庫にある昆布のつくだにだけできわきわ極上お昼。
猫のお世話するところは、だいたいとよもがこの生涯ですむことのないようなところなのでこりゃあ、猫に感謝するしかないにゃぁ〜
ああ、わたしが笑いたいようにわたしを笑わせてあげたい
この言葉は”幸福は日々の中に”http://silentvoice.jp/whilewekissthesky/という映画のコメントのなかの一節。とよもがここ数年いろいろいろいろ探しまくってたことへのかみさまからの答えみたい。この映画のディレクター茂木綾子とヴェルナー・ペンツェルは2009年に淡路島の廃校で始めたアーティストコミュニティノマド村ノマド村サイトのときからなんか惹かれてた。
映画のサブタイトル
そのままでいい、何も学ばなくてもいい。
雨上がりの朝
みみちゃんが早起きだったので、みみちゃんがいなくなっても早起きになりました。
それで昨日からまた違うところでシッターしてるので早朝散歩に。雨上がりで風がふんわりやわらかく植物たちも生き生きしてる。近所はこんな家とか1930年に植えられた思わず抱きつきに行った巨大なユーカリとか桜みたいな花とかも咲いてた。一駅あるいて、ソイラテとクロワッサン購入して、またあるいて帰ってきたよ。あーさわやか。
いろいろなところで猫と暮らす。
猫も人間と一緒でみんな全然ちがう。歩き方やらご飯の食べ方、声の出し方、匂いもちがう。人間は言葉で気持ちを伝えるけど猫は言葉では伝えない。ただ人間は猫を見て想像するだけ、もしかしてこうちゃうかなとか。この想像するということがすごいことかもって最近思う。想像の仕方というのは人それぞれ。例えば同じ猫についてちがう二人その猫の性格とか何考えてるのとか想像したらそれはきっとそれぞれ違う。
その人の関わり方で猫はどんな風にも変わる。想像にはなんの決まりもないから。けどちゃんとその相手に焦点あわせていくと、それはすごい執拗に観察したり想像の裏をかいでみたり。してることくりかえしてると。なんか自分だけのその猫がうきあがってくるからそれがいまのとことよものアニマルコミニュケーション。かなぁ
結局そんなふうに
猫のことかんがえてると、自分というものも自分できめつけてるけど、Aさんが見た自分と、Bさんが見た自分が違うように自分って自分のの中でも変化するもんなんにゃで。きっと。
といことは。自分ですごいいい風に自分のこと想像していったらええのんとちゃうかな。すごい簡単なことでいうと、とよもは勉強家できなかったそれはよのなかではダメという評価される。けど勉強でけへんかったらほかのことができるやろ。
それでええんとちゃうんって。ちっちゃいときの自分にいうてやりたいわ。
世間のいうダメという評価それだけでそんだけ、もったいなくからまってきたか。
得意なことで仕事して普通に暮らせて。ここまでなかがったけど。よかったわ今なんかわかってきた?。。。
久しぶりすごい作品にふれましたわ。
とよもが初めてオーストラリアに住むようになった場所シドニーのサリーヒルズ、ああなんとなくいいかんじのひびきやね。
surry hills 住んでたとこは家ではなく倉庫、当時5人くらいでひろーい倉庫に間仕切りとかして暮らしてたのですわ。
そこは広ーいので、日中だけアトリエとして絵を描きにくる女の子がいてました。
とよもは、皆が居なければ解放やーーって、広ーい共有スペースでビデオみたり、ソファにすっぽりおさまって本を読んだりしてたけど、誰かが帰ってくるとそーっと部屋にもどってた。なんやろね、人が居てると寛がれヘん。そんなことしてたとき、絵を描きに来るおんなのこが、置き手紙をおいていった。
ここはあなたの家なんだから、誰が来ても気にすることなく寛いでね。
そんなこと考えてくれてる人がいてんねんなってうれしかった。かな
当時とよもは自分の部屋で絵とか描いてたりもしてた。
ある日絵を描きに来てる女の子が、とよもの部屋にすごいでかい、キャンパスっていうの?、1mくらいの3つ使ってくれる?ってくれた。
それでそのキャンパスに絵を描いて、個展してひとつ売れたよ
個展した時にはその子はもう、家に来てなくて他のアーティストが共有スペースで作品を創ってた。
ああそれから20年以上の月日が経ち。とよもにキャンパス大盤振舞いしてくれた女の子が個展をするってFacebookで知ったんで昨日オープニングに行こうと想って電車にのって行ったけどギャラリーの場所が分からず一人でとぼとも帰って来た、なんやねん!
グーグルでギャラリーの場所もう一回調べて今日またいってきたよ。
日本に居てる時、横尾忠則の個展に行って、そのときそこに入った瞬間になんかぐわわわわーんとくるものがあって、こりゃあすごいわ。絵をみるでなくて、そこにはいっただけでぐわわわわーんなんやって
その時と一緒の感覚があった、その女の子の名前はEMMA WARKER
フリーダカーロでもモネでもその感覚はなかった。
arthouse galleryで個展中
どうしょうどうしょう、どうにもならんわー
14歳のみみちゃん、昨日は環境の変化で一日中ビクビクしていて、体もなんか息吸う時に小刻みに震えてた。いつも空中を見上げてそこにはなにもないのに、何かが見えるのか。一日中暗いベッドの下の角で寝ないで座っていて、夜中にウォーン、どうしょうどうしょう、どうにもならんわーみたいな叫びを声あげてた。
今日はとよもは朝から出かけてたので、帰って来て夕方ベッドにのせて、隣で一緒に寝てたら、やっと体を手入れしだしてそのあとゴロンと寝た〜。それからは、ごはんももりもり食べたあとお気に入りの箱にはいったので、ながーい葉っぱで遊んでやると遊びだした。ああよかった。
今は箱の中で寝てますわ。
今までの経験からして一日くらいで大丈夫になるはずって想いをもってたら、そうなるもんだ。
全然人見知りも無くいつもリラックスできる猫と、神経過敏で恐がりな猫がいてるけど恐がり猫のほうが慣れてくるといつもすごい甘えてくれるのはほぼみんな一緒。猫はほんとそのままなのでシンプルでわかりやすい。
みみちゃんはちょっときーつに似てる色合いなので、なんかふとみると、そこにきーつがいてるような気になる。
写真の箱の穴から手が出てるのと全然楽しそうでない顔がみそ。
久しぶりに猫と暮らす我が家
きょうからみみちゃんとちょっと一緒に暮らす事に。すぐさまみっしゅがよって来たけど、みみちゃんはいやみたいでしゃーしゃーいう。みっしゅは気にせず近くでごろん。みっしゅは誰に対しても怒った事は無い、いいおとこや。
飲み会にいくのをやめて頑張った
一年に一個くらいオーダーが来る、フェルト猫の骨壺カバー。今回は一人の人が2匹オーダーしてくれた。複雑な模様は出来てからちくちくとフェルティングニードルで植毛していく。目も色々つくって試行錯誤してたら、ほんまにどれがええのんかわからなくなーる。。