多分、あれっ、この世の仕組みって誰かさんにびっしり操作されてたんやっーてそんなことなんとなくわかるようになったのは、スライブという動画をyoutubeでみてから。この映画は長くてややこしい話(人によってどこがかは違うとおもうけど)もあるからいやとおもうところは飛ばしてみたほうがいいと思う。
それで、つい最近
フェイスブックで友達が載せてた、神との対話という映画をyoutubeでみたらそのつぎに著者インタビューがあった。それは映画よりなんだかひきこまれた。
スライブが地球上の人類のごく一部の権力者がつくった権力者のための仕組みの解説
ニール・ドナルド・ウオルッシュとの対話が宗教という名前でわたしたちの心に作られた仕組みの解説
なんだか、いまからはそういういままでぎっしり信じてたことをぜんぶなくして、本当は自分はどうしたいのか?自分は何が幸せなのか?みたいな基本的なことをいままで刷り込まれた考えでなく、一から自分自身で判断していくべきときにきているのかも。
とよもがオーストラリアに来て最近わかった事実。こっちのこどもたちは、誰かに遊ぼうと言われても、いまはあなたと遊びたくないとか言うし、そう言われた子もあっそうなんやって感じらしい。日本ではあそびたくなくても、うんあそぼうとかいうてしまうし。ことわられたら、きらわれてるや!わたしとか考えてしまう。
つまりオーストラリアでは誰が自分のことどう思っているかとかいう考えが少ないみたい。
これがあるためにいつも不安で、良い子を演じてみたり、傷付いたとかおもってしまうから、捨てたほうがええよね。
ニール・ドナルド・ウオルッシュの対話した神によると、神はわたしたちにもれなくついてくる、というかわたしたち一人一人が神ともいえるみたいな。
ニールがいうてた友達とは、お互いに許容し合える同士。ながくつきあえば相手の嫌なところも出てくる、けど自分もそうやからみんな含めて許しあえるのが友達らしい!。実際そいいう許容する気持ちができてくると嫌だと思うとこもだんだん気にならなくなってくる(あたりまえか)。。。自分も他人も。
さて、先週から海辺でいぬねこまみれ。
ジャグのフケで固まった毛(茶色いとこひっぱるとごっそり毛がぬける)をほぐしていくのがとよものたのしみ。
いま見つけた本、僕たちが選ばなかったことを選びなおすために