苦し紛れの人間は鉱物論

今朝起きたら空に雲が。

乾燥の大地オーストラリアには珍しくここ二週間くらいグレーの雲に空は覆われしとしと雨が続いてた。

実際の長い雨と、とよもの頭の上にある雲はリンクしてるかのように心の中もずっとモヤモヤがすくすく育って怒りや恐怖にもなってる。

朝日が空の色を一瞬だけすごい色に変える瞬間にはいつも心がシューっと天に伸びていくような心持ちがやってきて笑顔になれる。ほんまこの雄大な自然の中で暮らせていることがありがたい。

そんな太陽や雲や風を感じてるとふと、自分も鉱物という言葉が浮かんできた。

鉱物は地質の中で元素が長い年月かけて育っていく(と思う。。)私たち人間もも鉱物と同じく自然の影響の中でそれぞれ育ってるという意味で同じなんかな?

鉱物は反射された光の波長によって色がある。色はつぶつぶが反射してる光。

自分も鉱物と同じということは自然と成長していってるということの意味。

人間界では自分と他人があって感情があることが普通の設定なので、鉱物よりややこしく、いろいろな心の葛藤も出てくるけど、人間も鉱物と同じだと思えはずべてが自然なのでなすがまま。

隣のおばさんが私の気持ちを逆なでするとしても。それはすべて人間特有の判断があるからそう思うだけ。判断はオートマティックに出てくるけど、判断を捨てるとそこには何もない。

そうや、私は鉱物、光を受けて反射できる鉱物。

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