ガラガラガッシャーン!!

昨日の出来事、とよもは近所に住んでる友達がコロナに感染したので、家にある蜂蜜ではちみつ大根作って届けに行こうと大根もって家に帰った。

ロッテンマイヤーはだいたい昼の1時から11時頃まで仕事に行くので2時過ぎに帰ったらえっ!ロッテンマイヤーがおるやん!

ちょうど出かけるとこやったみたいで。

と:Hi

ロ:Are you coming back? or just visithing?

と:just visithing

ロ:i am going out, lock the key!と言って怖い顔でとよもを見据えるロッテンマイヤー。。やばっ!

ハーイというても返事もなく、帰ってきたん、それとも用事に来ただけ?!そして、出かけるから、あとは鍵かけとき!って。。。そんなん言われんでもわかってるわ!(心の叫び)

なんかいつもロッテンマイヤーからは、私がここを牛耳ってるんやで!みたいな覆い被さられるようなものを感じる、それでとよもの幸せな気分が’瞬間にガラガラガッシャーン!!やで、ハァアアーーー全然大丈夫ちゃうわ。まじ嫌。。。助けて。。。

帰りたくない。。。

このあとここにあった本を何気なく開いてみたら。

すべての人間の人生が

神によって書かれた

おとぎ話である

 

ハンス・クリスチャン・アンデルセン

 

この関連の自分騒ぎはすべて起こってもいないおとぎ話ということ?。。

 

 

自由こそが最初で最後の一歩である

結局ロッテンマイヤーは、この前ブログ書いた、次の日に田舎(田舎の方に自分の家があるけど、そこでは仕事がないので出稼ぎに来てる)から帰ってきたけど、とよもはその次の日にはまたシッターがあったのでうまくかわして一回も顔合わさないで出てきた。

そのシッターは4日間だけやったけど、12月に亡くなったミミさんのオーナーさんがそんなにシェアメイトが嫌なら、私たちが旅行の間、雨漏り当番もかねて家で泊まってもいいよと言ってくれ、5月2日まで一人暮らし中。ありがとうミミさん家族!

高校生手前から下宿生活で、大体それ以降一人でずっと暮らしてきたとよもは(結婚生活は1年半で終わったしね)、誰かといることが苦手でそれは友達でも、家族でも一週間以上になったらなんかストレスになってくる感じする。けどオーストラリアに来て、好きになった人とその彼女と、もう一人で広い倉庫に住んでた時はそれなりに楽しかった。一対一の関係が苦手なんかも。

この雨漏り当番で、心はゆったり、何日土地ストレスもなく、クンダリーニヨガやったり、気功練習したり。買い物に行けば、みんな親切に対応してくれ、ご近所さんには微笑みかけられ。これって絶対自分が幸せやから、相手もリラックスして話しかけてくれるんやと思う。今までは自分がキリキリしてて頭の中はロッテンマイヤーが嫌や!ということで埋め尽くされ、早朝散歩でもその思いは頭の中で繰り返されてたから。。。

何回もそのキリキリ思いを捨てようとしても、それは鍋についた黒焦げみたいになかなか綺麗に出来へん。ネガティブな思いはこんなにも自分の人生を左右するんや。。一年以上そういう状態のまま生きてきて体重も減ってきてたのはそういうことかいな。。。今この自然の中の広い家で自然にゆっくりした毎日過ごしてそういうことに気がついた。

それと結構自分の心を掘り起こした結果、なんか友達にネガティブなこと言うてしもたあとに、ふとそんな自分に気がついて、謝ったりもできるようになってる。この前もそんなことあったな。。

家に帰ってもこのゆったり気分が持続されるのであろうか。。。

ここでまたいつも見てる、mayu1111さんの5月のタロットリーディングを見る。

障害を克服した今、自分の人生を自由に作ってゆく。目に見えない潜在意識を使う。神聖さとつながる。クリエイティブと痛みはセット(そうなんか。。)noと言える力(未だ不安。。)。

このしんどい期間が痛みやったらそれを超えたら自由になる。

自由こそが最初で最後の一歩である byクリシュナムルティ

そうか。なんかもう大丈夫な気がしてきた!

死ぬまで自由、死んだらもっと自由

行動と体験

はーぁ。ロッテンマイヤーのいない自宅ってなんて平和でくつろげるんやろ。。朝もキッチンのテーブルでゆっくりご飯が食べられる。部屋にいてても、キリキリした電話の会話も聞こえない。

でも帰ってくるのが嫌すぎていつもドキドキしてる。

今日もシドニーは土砂降りでサマータイムが終わったとこやのに肌寒い、近所のCOOKS LIVERへの支流がすごい勢いとドドドッーという音を立てながらで川を目指して荒れ狂ってた。いつも歩く川沿いの道も所々すごい水たまりで、歩けないくらいのところもいっぱい。。。

いっぱいいっぱいになって溢れ出すのは、とよもの気持ちと一緒やな。。。きわきわまで頑張って溢れ出す時のパワーってすごいのも一緒やな。

自分でずっと前の投稿読んで分かったのは、いろいろ調べて人の考え方頭に入れても、実際自分が体験せな物事は自分のものにならないということ。

 

それで発見した悪い癖

友達に、今まで言えなかったこと伝えた後、自分が他の友達と話してて、とよもの英語の発音が悪くて相手が何回も聞いたとき馬鹿にされてるような気がしてきて、違うねん!って強く言い放ってしまってた。

オーストラリアに来てから、最初は友達の集まりにオーストラリア人が来るだけですごいストレスていつもそれなら行かないという選択してたけど、途中からそれではあかんってわかってきてなるべく交わるようになって、今は結構大丈夫になったけど、根強い大阪弁英語のイントネーションがこっちの人からしたら、すごい聞き取りにくいらしい。。そういう時でも自分が悪いのに、相手が自分を馬鹿にしてると捉えてしまいむかっとしてしまう。

今回このことがすぐ後でわかって、友達に謝った。

だんだん自分の悪いとこにすぐ気がつくようになって来たかーも。

大切なことは自分が幸せでいてること、自分を自分で幸せにできる力をつけること。

はぁーやっとここまできた。。。

この文章は4月7日に書いてアップするの忘れてたやつ。

ここからまた進化してるとよもに、つづく。

ありがとう、ちょっとこの世界を変えて見せてくれたインディ。

今日は、長い午前中やったなぁ

17歳の友達の猫インディーが今朝亡くなった。

何回もインディーのシッターに行ってた。一週間前も8日間シッターしてたけど、そのときはまだトイレも自分で行っててご飯もすごい食べてた。それから友達が帰ってきて一週間で病状はすごく悪くなって、ちょっと立ってて水飲んでも、すごい息が苦しそうにはぁはぁ少しの間なっててご飯も食べなくなってたらしい。

オーストラリアではクオリティライフが保てない状況になれば、ほとんどの人が安楽死を選ぶ。病気で食べなくなった猫に、日本みたいに強制的にご飯食べさせたりほとんどの人ははしない。それでまた元気になる猫もたくさんいてるのも知ってるけど。。。とよもは自然に任せる派。

今朝7時に獣医が来るから、あなたも来てくれる?と言われて行ったけど全然獣医は来ない、これがオーストラリア。結局10時過ぎに来てくれた。最初にふんわりする薬を注射するときから、インディーは動かせると怒った。獣医さんはもうインディは覚悟は出来てるみたいなこと言ってたけど、最後の抵抗、注射したら数秒で口からポタポタよだれが出て、それでも次の注射も怒って抵抗してた。獣医さんが噛まれないようにとよもはタオルでインディの首を固定して支えて。2つ目の点滴みたいに管のついた注射でゆっくり薬を入れる、入れ終わって数秒で聴診器を当てた獣医さんは、もうなくなりましたといいインディを毛布でくるんで持って行ってしまった。まだ綺麗なグリーンの目も開いたままやった。。。

獣医さんが言ってしまった後、インディーが生きてる数秒前と今では世界が少し変わってる感じがした。

キーツが死んだ時もとよもはそんなにひどく悲しまなかったなぁ。でもこの世界がなんかちょっと変わった感覚を感じたのは初めて。

体がなくなってインディは自由なスピリットなってると思う。

インディと17年暮らしてた友達はよく猫からのメッセージが映像で頭に浮かんでくるらしい。今インディーがどんなメッセージを友達に送っているんかなぁ。

ありがとう、ちょっとこの世界を変えて見せてくれたインディ。

だいぶ前にサマーカットしてふわふわな毛が生えてきてたところ。

 

誰かと本気で向き合うということは、自分の内側をいっさいがっさいさらけ出してみること。

この一年間、いやいや、コロナが始まったちょい後やからもう一年以上や、シェアメイトのロッテンマイヤーの厳しい塩対応のおかげで、どういうこっちゃ〜とよもはいろいろ情報を見まくってた。

長い長い探索の結果、人は変えられないから自分が変わるしかない。

せやけど最初はなんでやねん!ロッテンマイヤーが悪いのに!って思う気持ちがすごくて、他人は変えられないが全然納得できず毎日できるだけ合わないように共有場所のリビングキッチンには、素早い時間差攻撃でやり過ごしてた。。

それでもまたとよもが共用で使ってるキッチンのハサミを部屋で使って返すの忘れた時、キッチンのとよもの洗った物置き場に、もいっこの切れない鋏を目一杯開いてこれ見よがしに置いてあった。怖わーー!もう我慢の限界やわ、とおもてるときに、猫シッター2つと犬シッター一つで3月まるまる家から離れられることに(前回のブログの森の犬シッターも含む)。

仕事しながら癒されるシッターの仕事はとよもにとって天職(意味が違うか。。)でいつも救われてる。頼んでくれるお客さま達ありがとう。

甲状腺とあごの下のできもので療養中のお客様。

一ヶ月休養で落ち着いた頃、前自分の気持ちを相手に表現してみる。のちょっと初級のモヤモヤな自分の気持ちをモヤモヤ製造者と思ってる相手に伝えることをトライしてみた。

話をしてみても、ああー全然一方通行通で話が全然じない。。相手は自分の立場からしか意見を言わないし、この現象は私がロッテンマイヤーに何かを伝えようとするときにもいつも現れる。

もう一回説明してやっと、何を伝えたいのかわかってもらえたけど。私はそんなこと気にしないし、そんな前のこと今言われても。。。的な答えで終わった。

世の中には、出来事をすぐに忘却できる人と、ずっと心の中に置いてる人がいてるんや。。。それと批判されたとき人は自己防衛機能が働いてそのことを認めないでいれるような対応するんや、それは自分にもあるなぁとまるで鏡を見てるみたいな気持ちになった。

 

大昔、付き合ってた人に、とよも、『世の中は白と黒ではない、グレーもあるんや』と言われたことも蘇ってきた。

その時はグレーって単なる言い訳やんって思てた。

とよもは完璧、白黒派でその上起こったいやなことをその場では我慢して(言えるときもあるけど)ずっと覚えてる、プラス自動的自己防衛反応。

うーん今まで知らなかった自分のことをここまで見つけられたすごいことのように思える。

以前に受けたヒプノセラピーでの自分が自分を守る!という新しい考え方もすごいプラスになってると思う。

シッター最後日に、ロックダウンのときに無料でクンダリーニヨガや瞑想をzoomでみんなに教えてくれてた、yukie tsunoさんの、これまたgiftクラスの瞑想に参加させてもらった。その瞑想で息を吸う吐くことに集中して終わった時。

すごい完璧に、自分は変わった!もう絶対大丈夫やという感覚がきて頭からのろしがもくもく上がってる感じがした(以前ものろしが上がった時あったよな)。今までいろいろ調べてきたことがその瞑想でちゃんと必要なところに配置されて動けるように頭のギアがつながったとでも言おうか。。。(以前にもギアが組み合わさった映像見たよな、とよも!)

誰かと本気で向き合うということは、自分の内側をいっさいがっさいさらけ出してみること。

さっきこういうことを言ってる人の記事を読んで、自分の中にあるネガティブなところを認めてそれもみんな必要なことと思った証拠ののろし!や

そして家に帰った。

ロッテンマイヤーがいてない。

先週もちょっと用があって家に帰ったけど、その時もいてなかった。もう二週間以上帰ってきてない。。でも冷蔵庫にはロッテンマイヤーのからのペットボトル(なんでかいつもからのペットボトルを冷やしてる)とスパークリングウォーターが入ってたから、出て行ったわけではない。

つづく