とよもは、小さい時から勉強が得意ではなく、劣等感が基本にあった。
でも今考えるとその劣等感はほんまに正しかったん?とか考える。
勉強がでけへんでもきっと他にできることがあるでって、その時は誰も教えてくれへんかったし。
とよものにいちゃんは賢かった。その上鼓笛隊の一番前でなんかぼう振って町内を練り歩き近所のおばちゃん達が拍手してた。。。当時のにいちゃんがいけてるということは他の人にはすごいわかりやすい。
人はそれぞれに自然的得意分野というものがあると思う。
とよもの場合は、手先が器用な親戚のおばちゃんがいてて、小学校の頃から妹と一緒にその親戚のおばちゃんにレース糸でガーゼのハンカチの周りを装飾していくやり方を教えてもらってた。でもそれができたとしても、にいちゃんみたいに町内のみんながすごいやん!というほどは認知されていないという点では比べ物にはならず、劣等感はまたすくすく育ってた。
今考えたら、人はそれぞれ得意分野があるからそんなことは(評価)どうでもええやんって思えるけど、その時代は勉強第一で、すごいやばいんちゃうん私!と思い、そのはけ口として隣の金物屋さんから、釘を掴んで道にばらまいたりしてた。マジやばい。
それでなんでこんな話を今書いてるかというと。
そんなとよもでも今は、ペットシッターとして働いてて、犬や猫、兎たちと同レベルで接してその喜びが分かってきたからかな。
動物達は純粋でそれゆえ一緒にいさせてもらえると何とは無しにその純粋性に心を打たれ、自分ももっとこの方達のようにピュアになりたいもんやなぁと思う。
そういう思いがない時と今では全然違う。
とよもは、ペットシッターとして今、学校で勉強できなかったことを意客様から学べてる。
人にはいろいろな時代があって、しんどい時代にした経験と記憶はいいも悪いもすべて積み上げられていってその人を作ってる。
やさぐれた時代があってもその後に、何かがあって一方的な考えでなく違う考えも受け入れるというか、他に自分の経験してなかったことから、ええっ!こんなことがあるんやって思える時が来る。
動物達の感情はいつもストレートで、嫌は嫌、好きは好きですごいピュア。
とよもがいつも仕事としてシッターさせてもらってる動物達から直接言葉なしに、なるほど!と学ばせてもらったことはそのこと。
ありがとう私のお客様達。