なんでもポジティブに受け取る癖をつけてみる?

物事に対しての自分の捉え方で、体験も変わるって、昔自分がブックマークしてたサイトに書いてたのを今日見つけ、必要なときに必要な情報が目の前に現れる凄さを感じた。。。

それは別に新しい考えでもなく、みんなが知ってることなんやけど、いつも忘れてることでもある。

前にも書いたけど、うちのオカンが

とよも『寒いー』

オカン『寒いと思うから寒いんや!』

その時は、ほんまに寒いんにゃ〜とおもてたけど、その意味は気温が低いと寒く感じるけど、自分の意識を寒いから離して、他のことに熱中したりすると、寒いことは忘れてしまう。そんなことか?。

しかしまぁいっつも熱中してるわけでもなく、というかぼんやりしてる時間が最も多いけど、今感じてることが嫌なら違うこと考えてそっちに感情を移行させる術を学ぶべきということ。

もやもやしてたら、あっ!もやもや!!と気がついて、空を見るか、目を瞑る。何もない、もやもやもない。すごい簡単。頭の中の自動再生装置スイッチオフ。自分がからのパイプになる。

そうすることを続けてると、シッターで犬の散歩している時も『2匹は大変ねぇー』と微笑まれたりして、からのパイプに優しい感情がちょっとづつ流れ出す。

とよもはなんでも責められてる、やばい!と思う癖もついてると思う。

けど、『責められてると思うから、やばい!と思うんや』にして

責められてるのでなく、考えが違うだけにしとく。か、ほうほうそういう考え方もあるんや。とのほほんとする。それで私の周波数は滑らかに変わるんかなぁ。。。

これは星雲(Nebula)というものらしい、

星雲とは、輝いた雲のように見える天体。大部分がガス状の物質からできているものと、無数の星が集まっているものとがある。
人間も宇宙の一部という声が昔聞こえてきたから、私たちはこんな写真みたいな集合体なのかと思えば、だれがどうしたとかもう関係な〜い。って気持ちにはなるね。

Dance with Galaxies

厳しいシェアメイトロッテンマイヤー最終回。

ある日友達に、ロッテンマイヤーがこんな意地悪するねんとかとうとうと話してたら、友達が一言

そんな嫌やったら、私に言わんと本人に言わな!

うううっ!そうやんね。

今まで2年間ずっと嫌で避けまくって生活してるけど、そのことを本人に言うことは避けてた、以前数回話してみたときはこんな感じ。

と:共有スペースの掃除は交代でしませんか?

ロ:私はいつもしてる。で終わり。(実際やってないやん!)

と:私の髪の毛をトイレットペーパーの前に集めるのはなぜですか?

ロ:集めてない、掃除機をそこだけかけてないから集まるのよ(あなたのいない時は集まってないやん!)

 

何言うてもぴしゃりと取り下げられてこっちの意向をロッテンマイヤーは全然受けいれへんことは何回かの会話でわかってたし。でもここまで嫌なことが積もってきたらもう、自分の精神も粛々と蝕まれていってるはずやし、ここでひとつ勇気をださな。。。

6月25日土曜日の朝、何がとよもを動かしたのか。。。

思い返せばその前の夜に

死ぬ瞬間キューブラー・ロス

と言うyoutubeみてた。

今ある終末医療(緩和ケア)と言う病院でのケアを作った人らしい。この人は主に患者との対話で最終的に愛を与え受け入れられるような心に向かうように色々な対話でしながらそのことを理解でき、全ては繋がってる大きな宇宙のようなもの。みたいなところまで考えが広がるようにサポートしていたのかなぁ。。

本人が患者にそういうサポートしてはきたけど、自分が年老いて脳梗塞で体の自由がきかなくなった時、彼女は、神様はヒトラーだ!と言ったそうで、なかなか理想と現実は一致しなのは誰でもなんや。

けど7年もの長い動けない生活で最後には、人生は愛を与え、自分でも愛を受け入れられるようになれた、みたいなことを言ってその姿が一番可愛かった。

受け入れるlife lessonは宇宙のダンスみたいな言い方もしてた。これはお互いの関係性は宇宙の星の位置関係のように決まってるから本当はその通りに経験して自分は愛をわかっていけるということかな。

そういうストーリィを見て、とよもはきっと、憎たらしいと思ってるロッテンマイヤーも同じ宇宙の星の一つ一つで、憎たらしいと思えは楽しいダンスはでけへんな。。。とか半分無意識でわかってたのかもな。

 

 

土曜の朝キッチンにいてるロッテンマイヤーに気がついたら話しかけてたし。。。

こんな理由で、話がしたいと何回言うても、私はあんたの英語が理解できないと言い張るので、家主さんに入ってもらって話しましょうと提案して、ちょうど家主さんも今日は時間あるということでお昼過ぎに話し合いができるように段取りできた。

そのことキッチンにいるロッテンマイヤーに伝えに行ったら

ロッテンマイヤーはこっちをぎらりとこっちを睨んで、ため息ついて大声で、私はいまポッドキャスト聴いているのよ!(携帯の画面を何度も指で叩きながら。。)とマジ叫んだ。とよもは固まって2歩くらい下がって退散しようとしたら、ロッテンマイヤーはイヤホン外してこっちに来たので、1時からのミーティング家主さんも大丈夫です。と伝えた。。

あああーこわっ!!

ポッドキャスト聞いたことないとよもは、友達にポッドキャストってライブだけなん?って聞いたら、ほとんどのポッドキャストはアーカイブが残るから、その時止めても大丈夫やでって教えてくれた。なんや、それやったらあんなカンカンに怒ることないやんね。

 

そして家主さんの裏庭のテーブルで私と家主さんが座ってたら、なんと!

’’サングラスをかけて、さっきは普段着でカンカンに叫んでのになんかオシャレして大きなスカーフまで得意げにまとって微笑みながら来るやんか。。

なにそれ??なんで裏庭にオシャレしてくるん?

話し合いのためにとよもは事前自分が困っていること書いた紙を握りしめてた。

家主さんが話のはじめに、とよもは日本人で日本人は自分の思ってることなかなか表現できない国民性がある。そしてロッテンマイヤーは英国人でこれまた同じ気質を持っているから二人のコミニュケーションはうまくいかないみたいだね。みたいなこと言うたらいきなりロッテンマイヤーは

あーら、私はもうオーストラリア人のようになっているわ!というのを聞いて、とよもは腰を抜かしそうな気持ちになった。

ちなみにオーストラリア人は、陽気で思ったことそのまま言うすごいシンプルなところがある。。なんでも細かいこと気にしない、関係ないよーで終わる。dosent matterポリシー。

とよも、。。。。。え?まじ

ロッテンマイヤーが陽気なオージ気質?

そうは思えへんけど。。。。

 

ということでとよもは3つ言いたいこと言ってロッテンマイヤーは2つを受け入れ一個はとよもが受け入れるということで話し合いは終わった。

とよもは2年間言えなかったことが、家主さんのおかげで言えて、これがブレイクスルーというやつか!となんとなく、いやすごく嬉しかった。

結果また同じに戻ったとしても、家主さんが事前に教えてくれた、そんな言い方されても気にしない、それはただ彼女の問題だから。ということを心に留めたらちょい楽になる、し。

逆にあなたは思い込み激しすぎ、私なら(家主さん)そんなこと気にならないわとかも、ああそうなんかってわかった。

 

ブレイクスルーの前

6月22日に、コロナの時からずっとクンダリーニヨガと瞑想でみんなをサポートしてきてくれてる、Yukie Tsunoゆきちゃんのクンダリーニ・ メディテーションコミュニティ

でマントラや誘導の音が大きくなったり小さくなったりノイズが出たりしてイライラしてしまい。最後の感想も言えずに退出してしまった。

それでゆきちゃんにあやまりのメールしようとしたら、ゆきちゃんから

丁寧な自己観察のシェアは、いつも私にとっての学びに満ちていて、また、瞑想やクリヤを通して変化していく様子を聞かせていただくのは、私にとっても大きな喜びです。

というメールがきてびっくり。とよもの体験をみんなにシェアしてもいい?と聞かれたので、もちろん!と

ほんま何がどうかわからない、、イライラの怒りがブレイクスルーにつながる重たい蓋をしたから開けるものすごい力になってたんや。。。

怒りもたまにはええ事になるんや。。

ありがとうみんな

Dance with Galaxies

ありがとう、チビ子

年末からのシッター顧客様の死に続いて、今シッター中の野生の鳥のチビ子が。。。

チビ子はcurrawongというカラスに似た鳥。

シッター先の友達が庭に落ちて来た、カラウォングの雛をチビ子と名付けて保護して育てた。チビ子は飛べるようになってからも、毎日ご飯をくださいーと庭に来るそうだ。

昼過ぎに到着してキッチンに行くといきなり窓の向こうで大口開けた大きな鳥、こわごわ、指示の通りに、割り箸でミンチ肉つまんで口の中へ。。。と言っても、なんか怖くてなかなかちゃんと口に入らず、ボロボロ地面に、落ちた肉は食べないし。。。肉食べさせた後も、ずっと枝の上で、はぁはぁしてるし。

もしかして肉が喉に詰まってるんかと、オーナーさんに連絡したら、『大丈夫、詰まってないよ。チビ子は昨日頃から呼吸器系の風邪で(友達の獣医さんに症状伝えて聞いたらしい)酷くなったら、近所の人が獣医に連れて行くから』と。

でも次の日からとよものご飯あげはすごい上達して次々しっかり喉に!チビ子は枝の上で休むことなく、食べるとすぐに飛び立ってたから回復してきてると思ってた。

とよもがここに来たのは29日土曜日の夕方でその時から1日2回ミンチ肉あげて、30日、31日の朝にご飯あげたのが最後でチビ子はこなくなくなった。

31日の昼ごろかな、チビ子が隣のマンションの網戸に張り付いてるの見て、他でもご飯もらってるんやと思ってた。

がしかし、

4日の朝、電気調理器スイッチつけたら

チビ子見える、焦げ跡。。。

冷蔵庫の中で、色が変わっていくミンチ肉。。。

入院そんなに長引くってあるのかな。。。

そのあと7時くらいコーヒー入れて朝ご飯たべてたら。

ハート型になったクッカバラたち。

このあと3羽になりクッカバラの大合唱。

とよもはすぐに、チビ子に何かあったに違いないと思った

 

9時頃にオーナーさんからのメッセージで、31日にチビ子の様子がおかしいので近所の人が捕まえて獣医に連れて行き入院。入院中に獣医さんが安楽死させたと、それも連れて行った人に何の連絡もしないで。。。オーナーさんによると多分医療ミスでチビ子はなくなり獣医さんはその理由も言葉を濁すだけで、安楽死させたと。。。

はぁー

せやけど、動物たちのネットワークすごいな。仲間に何かが起こったこと感じて表現(セレモニー)してる。。。

このような経験を経て、なんか今まで興味のなかった鳥たちがぐっと身近に感じた2022年新年の出来事。

ありがとう、チビ子

R・スペリー博士からのメッセージ part 2

前にR・スペリー博士からのメッセージというタイトルで書いてからもうすぐ11年経つ。そしてR・スペリー博士からのメッセージの広告を始めて見てからたぶん29年(今調べてみるとこのNTTデータ通信株式会社の広告は1992年にTOKYO COPYWRITERS CLUB部門賞を受賞していた。

そしてこの広告のコピーライターはグラフイックデザイナー誰でも知っているサンアドのコピーライターであった一倉宏さんということがわかった。11年前のブログにコメントのこしてくれたのは一倉宏さん?そして一倉宏さんはその後、中畑広告制作所に。

ここからはとよもの自動回想モードのスイッチが入ってしまった余談です。

とよもが大阪でグラフイックデザイナーしている時、奥村靫正さんが好きでTHE STUDIO TOKYO. JAPANに面接に行った。奥村靫正さんは、アートの作品をたくさん持って行った私に、これを使って自分で広告作って作品にしてたらどうかな。と提案してくれたり、うちではあなたくらいの経験者はいらないけど、よかったら紹介状書くから中畑さんところに行ってみたら?とか、すごい親切に話してくれた。とよもは超緊張して奥村さんの顔も見れず下向いたまま、奥村さん靴下サンローランや。。。とか考えてた。

その時は自分はグラフイックデザイナーなので、中畑さんところに行ってみたら?と言われても、えっ?としか思えず諦めてそのまま、大阪で仕事を見つけた。そのあとオーストラリアに移住したくて、宣伝会議(広告専門雑誌)で杉山恒太郎さんが、カンヌ映画祭でオーストラリアのサーチアンドサーチの、クリエイティブディレクたーのボブさんと君のジャケットもコムデギャルソンだよね?とかお話ししたと書いているの見て、いきなり杉山恒太郎さんに電話して、宣伝会議の文章読みました。私はオーストラリアでグラフイックデザイナーとして働きたいので、ボブさんに紹介してください!と無茶なお願いもした。。。

杉山恒太郎さんは、君が僕の妹とかだったら紹介もできるだろうけど。。。と困られていて、ねぇ本に書いてあることが本当にそのままなんていうことは少ないんだよ、例えば椎名誠が本の中のああいう人物じゃあないということだよって。えええっ!と言葉をなくす私に、もしよかったら大阪電通の00さんという面白い人がいるから、紹介するから会いに行ってみたらとまで言ってくれた。でもこの時もオーストラリアのサーチアンドサーチの、クリエイティブディレクたーのボブさん以外見えてなかったとよもはそのまま何も行動しなかった。。。

こう考えたら、オーストラリア移住前に、すごいチャンス2つも逃してる。。。

すみません、話がえらくずれてしまったのでR・スペリー博士からのメッセージの広告に戻します。

自分が初めてこの広告を目にした時の衝撃と(こういう思想的アプローチが崇高=かっこいいように思えた)その広告をわざわざコピーして、オーストラリアに移住する時も大切に持ってきていて、何度も引越しを重ね結構なものを捨ててきた今でも、この広告のコピーは持ってることにはこれにはきっとすごい意味があるんや。

なぜまたR・スペリー博士からのメッセージを思いだしたのかというと。

とよもはオーストラリアでの3ヶ月にもなる厳しいロックダウンで、頭の中でいつも繰り返されるネガティブな妄想を何とかしたく、ヒプノセラピーを受けることにした。今は対面もできないのでZOOMで受けたけれど、思いの外すんなり事は運んだ。

そしてとよもは潜在意識の世界にちょい入って宇宙の果てに行ってから地球に戻って過去に傷ついていた自分の記憶を今の自分が『大丈夫やでもう心配することないで』って教えてあげた。それはなんていうか心にこびりついてたもつれてた糸を解くというより、ふっと消す感じ?潜在意識の掃除?

ここで、昔見た脳科学者、ジル・ボルト・テイラーの動画を見直す。左脳に血栓ができて機能しなくなり、右脳の世界、つまり宇宙的自分を体験してきた話。

ヒプノの前に、「君と逢える約束の場所」という映画を見ていて、それは細胞の一番小さい物質は素粒子説という仮説に基づいたストーリィだった。

とよもがずっと興味があった非二元の世界、私はいない、起こってることはただ湧いてきたストーリィ。これだけではなんのこと?自分いてるしと思うけど。これはジル・ボルト・テイラーのことから考えると非二元は右脳の世界に入ること。

というのは今の私たちの意識、日常の脳の動きに本気になることなく、右脳と左脳を行き来しながら、バランスとってもっと高い位置から自分を見よ、世界を見よ。あなたは過去や未来に左右されてストレス溜めてるけど、ほんまは素粒子でみんな一緒でいつも今にいてて、何の心配もないんやで。そういう気持ちでおったら絶対日常も変わってくるし、自分に何ができるかもわかってくるんちゃう?ということかな。

広告の他ヘッドコピーと締めの言葉をここにコピーしとくね。

R・スペリー博士からのメッセージは、『人類よ、頭脳に、自信と責任を持て』と、言っている気がする。

『新しい意識の考え方は、それぞれの矛盾しない世界観のなかで統合してゆけるとおもいます。また、それが望ましいことだと、私は思う』Roger Wolcott Sperry

人間は素粒子の集まり、宇宙的存在でそこから左脳により分離されてる感を持っているけど、右脳は宇宙に繋がってるからいつでもどこでも過去も未来もなくただい至福な今に漂う素粒子になれるんや。

こんなにもとよもの心の中に住まい続け必要な時にそのことをまた理解しなおさせてくれる力を持つ心の原石のような広告の文章をそこにそっと置いてくれてありがとう。一倉宏さん

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おとなしい家畜とよも、荷物振り落として野生のロバになる!

数年前によく聞いてた、津留晃一さんの聴き物語、当時はうーんよくわからんってかんじやったけど、さっきもう一個聞いたら前よりよくわかったような。。。

問題は解決しなくてええねん

どんな自分でいたいかだけ考えればええねん

ここで、時間経過

智慧とは、世の中のあり方や現象の深い知識のことである。

4月からコロナ騒ぎで対面でレッスンができなくなった、日本のクンダリーニヨガの先生ゆきちゃん(シドニーで出会った友達)が、毎週クンダリーニヨガをzoomで教えてくれてる。

レッスン受け取ったひとはまた誰かに何かを与えられる時にあたえてねっていうコンセプトも見習いたいとおもい、やりたい!と思ってはじめた。しかし大昔にヨガを習ってたけどやめてからなにもしてないし、筋肉へにょへにょなとよもにとって、体に厳しい時ありあり、ゆきちゃんの飴と鞭に導かれ、毎回やりとげたことへの達成感までみちびいてもらい続けてた。

クンダリーニヨガってじぶんに必要なエネルギーを呼吸や体の筋肉やその動き?によって作り上げる、エコな自家発電みたいな感じかな。

最近はよく、好きなことしていい気分になるのが一番というかんじのことをyoutubeとかで発信してる人の話を聞いてたのでこのちょい苦しい時もあるクンダリーニヨガは果たして自分に必要なのかとかいう逃げ思考も出てきてたけど。3ヶ月弱続けてた。。。昔習ってたヨガはそのポーズと呼吸のことしか考えてなかったけど、クンダリーニヨガは自家発電からのじぶんのエネルギーを感じエネルギーが体という乗り物とつながってのろしみたいに天に昇っていくような。

クンダリーニヨガをしてると、とよもはどんどん嫌な自分がみえてきた。それをみつめてそのままうわぁーと思いながらも、大いなるものとの出会いのための旅をつづけた、そこにはやめときなはれ〜という魔物も出てくるし今つながった?という新しい自分との出会いもあった!

その最初のレッスンの時に

A Mangara Caran Mantraというのを教えてもらい、40日間毎日11分間唱える。これはなんかツボにはまってきもちがいい。なので毎週のクンダリーニヨガzoomレッスンが終わった今でも毎日つづけてる。

このマントラは、わたしたちはすべての瞬間に原始の核と始まりのエネルギーにつながっていますよ。なので疑念の雲を払いのけ高次の存在からの導き(これが智慧?)に心を開い敬意をあらわしましよう。というかんじかな。

原始からもともともってる智慧を覆い隠してる思考のほこりをはらいのけつづけていると。

そうやったんや

あかんあかん、でけへんでけへん、こわいこわい、みたいな強力な思い込みをいつも心のカバンにぎゅうぎゅう詰め込んで持ち歩いてるとよもがみえた、それらを手放す時が今や!!と気がつく

そこで今朝なんとなくROSEという歌を聴いてたら

It’s the heart afraid of breaking, that never learns to dance
It’s the dream afraid of waking, that never takes the chance

こわれるとおもてたらダンスは学べないよ(自分が壊れるくらいダンスを楽しまな!とよもの意訳)

目覚めること怖がってたら絶対チャンスはつかまれへんで。(そらそうや)

とよもはシッターのときにいつも、責任感からかこうなったらやばい!という悪い方向に想像を膨らませ、あかんあかんといつも犬猫達には自分のこころの安全という囲いの中だけで接してた。。。

何回も、心配ない大丈夫やと言い聞かせててもその裏には不安が張り付いてるから、すぐじぶんで囲いの中にはいってた、おとなしい家畜とよも。

ずっとその囲いの中から出られてなかったんやな。

もうサレンダー流れを信じてたゆたうのろしみたいに、任せる生き方にしよ。

そして今、ずっしり積み上げられた背中の荷物ふりおとした!

わたしはもう自由な野生のロバや、どんな自分でいたいかだけ考えればええねん。じぶんのできることでひとのやくにたてたらそれは最高。

ここでロバが笑いながら飛び跳ね踊るように走ってるのを想像して笑ってください。。そしてあなたも無いのにあるようにおもってた柵をけして、せなかの重たい荷物を今一気にふりおとしてみませんか?

わたしってなんだろう?

4月24日に、ノンヂュアリティのことを知って今日でちょうど5ヶ月。そのあと行ったシッター先の机の上にさりげなく存在した”I am that”という本を読んでみると。

「私は身体だ」という観念を超えていきなさい。そうすれば、あなたは時間と空間があなたのなかにあり、あなたが時間と空間のなかに在るのではないことを見いだすだろう。

わたしは体だとしっかり思っているなぁ。でも時間や空間がわたしのなかにあるという時のわたしは自我のわたしでなく”I am that”のthatかなぁ。

体がわたしでなebisu4かったらわたしは物質として存在しない意識だけということで、わたしはいないっていうんだなぁ。

その意識も、つぎになにを思うのかどんな行動したいと思うのが予測ができないから、そいうい意味で主導権がないから自分はいないということなんかなぁ。

今日は雨のなか散歩で、すばやく用をすまして家に戻るリース。でもそのあとすぐに晴れてきた。

ここで何気なく本棚にあるを見てたら、”生物と無生物のあいだ”という本があって、面白そうなのでよんでたら、

”肉体というものについて、私たちはみずからの感覚として、外界と隔てられた個物としての実態があるように感じている。しかし、分子のレベルではその実感はまったく担保されていない。私たち生命体はたまたまそこに密度が高まっている分子のゆるい『淀み』でしかない。しかもそれは高速で入れ替わっている、この流れ自体が『生きている』ということであり、常に分子を外部から与えないと、出ていく行く分子との収出が合わなくなる”。

個体としてとらえてた身体が、密度が高まっている分子のゆるい『淀み』とすると、わたしの身体も見えてるけどただの分子のよどみか。。。

インドの聖者がやってきた


朝起きたら、インドの聖者が語りだした。
昨日の夜に大和田菜穂さんの説明するノン•ディユアリティという考え方をYOUTUBEでみた。
世界は一つのエネルギーでできていて、そのエネルギーがいろんなものに形を変えて現れているだけ、思考は単なる言葉つねに変化するもので、それを現実として認識しているけど、ほんとうは感覚が言葉になっただけ、思考は変わらずおこるけどそれを自分に対して個人的に理解すると収縮=苦しみになる(これは今一般敵に人間がしていること)。
いままでよく聞いてきて、いまこことか、ワンネスとかとおなじことだろうけど、ノン•ディユアリティには、自分は存在しない、体と空間はつながったひとつのもので、それが形という岩礁で見えてるだけ、ほんとうは一つなのに、自分が一つの個として分離している感覚があるから、つねに何かをもとめるのであーるということらしい。
普通の考えでは、えっ!どういこと?自分は存在しない、イリュージョン?とおもうよねぇ。
でも、過去にかいたスペリー博士の言葉にも今みてみたら、同じような事が
博士からのメッセージは、意識についての新しい考え方から、この世界と人類についてを見つめ直すべきだ、というものだ。物質的な力、つまり分子や原子の働きからは、私たちの脳のモデルは描ききれない、それは部分のレベルであって、全体的レベルからの部分のレベルをコントロールする意識というものを考えなければならない、と博士は強調する。
私たちは、物理・化学的な力が自分のからだを活動させていると考えながら、一方で、意識が自分の行動を決めるとも感じています。『いままでの科学は、部分レベルの見方に片寄り過ぎていた。部分と全体とは、つねに相互関係をもつものでありながら。私たちの世界は、原子の物理学だけでなく、人間の批判的な価値観によっても影響を受けるのです』意識や価値観について語るとなると、哲学などの人文学に近づいてゆきますね。あるいは宗教にも。『新しい意識の考え方は、それぞれの矛盾しない世界観のなかで統合してゆけるとおもいます。また、それが望ましいことだと、私は思う』
博士のいまのお考えから、21世紀への希望をお聞かせください。『私たちは21世紀を守る目的で、科学に目を向けなければならない。この世界を保持し、より高め、破壊することなく、長期的に生命圏を進化させるようなガイドラインをつくること。意識とは、そのためにある創造の感覚なのだから』
 
うーんわかるようで、わかっていないようで。。

神様のお告げ?

さっき犬と散歩してたら
白い長い眉毛がつりあがったおじいさんが
とよもになにか話しかけてくる。
えっ?と聞き返すと
Don’t let him pull around.
犬にひっぱりまわされるなって
みたいな事をマジな顔で言って、そのあと
You are the boss
といってさっていった。。。
とよもが、犬が行く方にいかせたり、匂いかいでひっぱるの
そのままにさせてたからだとおもうけど。
なんか、自分の人生に神様からお告げを頂いたような気分。。。
そのあと、たまにみる雲 黒斎サンのブログを見ると
「思考は現実化する」って話をワンコネタでやってみよーや』
というのがあって、「現実認識を担当する自分(主人)」と「思考と感情を司る、忠犬バディ」
の話しがなんかさっきのおじいさんのことばとつながった。
http://blog.goo.ne.jp/namagusabose/e/abfcea3f82cf759c9d0ef4c683a92c94
つまり、思考と感情にふりまわされてる、自分。
すごい!

やりたいほうだい

みっしゅ、一回ふとんのり許したらもう
やりたいほうだい

昨日雨の中出かけたとき、左手で傘さしてて、風が強くて傘がゆれたので
右手で傘持ってるじぶんの左手つかんだとき(両手で傘を持ったということ)左手に自分の手ではない手が、重なったと感じられた、えっ!なにこれ!こんなんはじめて。
そしてそれから、ラーマクリシュナの寺に行って,ラーマクリシュナの一番弟子の、ベベカナンダのお誕生日に参加して、スワミジに挨拶したら『おおータラが来た、あなたはその名前憶えておきなさいよ』って、また頭ぐりぐりされた。
寺まではじめて自力でいったので、反対方向のバスに乗ったりして時間ロス。
ちゃんと545のバスでいける調べて行ったにもかかわらず、運転手にこのバスはそこにはいかないよ544だよといわれ、時刻表見ると544は1時間に一本しかない。。それだともうまにあわないから、帰るしか無いか〜。
そのとき次の545のバスが来て、運転手さんがターバン巻いたインド人だったから、これでたすかった!となぜか思って、ここにいきますか?ときいたら。静かに『行くよ』と。そのうえチケットの機械が壊れてたので、『はらわなくてもいいよ』。
やっとお寺について誕生日のお祈りみたいなのの最後に間に合って、そのあと無料のインド料理をみんなにふるまってた、配給みたいにお皿をだして、並んだ食べ物のまえにいくと、どんどん盛り合わせくれる、デザートまであって、これがみんなの寄付でまかなわれてるんだなぁ今度はお昼ごはん代くらい寄付しよ。

かきとタラ

海のほうから、帰ってきたうさぎとねこのお母さんが牡蠣を買ってきてくれた。ふたの閉まってる牡蠣は中に海水を含んでるのでそのままでも1週間くらい生きてるらしい。
それをナイフでこじあけて、レモンと黒コショウで食べる。
これって、生きてるまま食べてるってことや。。。

溺愛されてるウサギはお母さんが帰ってくると、部屋の中を走ったり、椅子やテーブル飛びに乗ったり、確実にとよもと二人の時とは態度がちがい、喜んでるかんじがわかった。
抱き方も、お尻をくりっとなでなから抱えるといいよと、見せてくれた。
ほうほうほう大人しく抱かれてる。
うさぎって、猫より敏感で、危険意識が強い(ちょっとのことでも、とびあがってびっくりしする)のは、自然の中ではいつも危険にさらされているかららしい。
気が休まらない人生かもなぁ。
昨日は友達が、ラーマクリシュナのお寺?につれていってくれてそこの一番偉い、スワミジ(スワミは男性のお坊さんでジがつけば偉い人らしいです)に、日曜に勉強会があるからまた来なさいと、頭をくりぐりなでられて、びっくり。
あたまをなでられたことなんて、子供の時にもそんなになかったもんなぁ。それでスワミジは、『私はあなたんことをタラと呼びましょう』と、名前までもらった。
タラってしらべてみるとヒンディー語で星という意味で、地上から見ると美しく輝いているけど、本来の姿は自己燃焼する灼熱のエネルギーの珠。穏やかな美しい輝きは安らぎを、絶え間ない燃焼はすべての生命を奮い立たせる核。そういうふたつのエネルギーをもっているのがタラらしい。素敵すぎる。