昔読んだ『嫌われる勇気』の作者、古賀史健と糸井重里の対談を今日ほぼ日のサイトで見つけて読んでたら
自分のために嫌われる
嫌われることには勇気がいる、その勇気を使うことで変われる。みたいなとが書いてあった。勇気を持つにはまず、自分には価値があるということを認識する。ここのところがなかなか難しいけど。考えればシンプルなこと。
嫌われるという事にはいいところもあるんやー
勇気を持って嫌われるということも必要な事なんや。と自分の脳内にインプットしとこ。
シドニーのまったり猫生活
昔読んだ『嫌われる勇気』の作者、古賀史健と糸井重里の対談を今日ほぼ日のサイトで見つけて読んでたら
自分のために嫌われる
嫌われることには勇気がいる、その勇気を使うことで変われる。みたいなとが書いてあった。勇気を持つにはまず、自分には価値があるということを認識する。ここのところがなかなか難しいけど。考えればシンプルなこと。
嫌われるという事にはいいところもあるんやー
勇気を持って嫌われるということも必要な事なんや。と自分の脳内にインプットしとこ。
昨日の早朝、何かに促されるように久しぶりに、川沿いの散歩に出た。
今年はシッターの数も少なく家で過ごす日々が4週間くらい続いた中でシェアメイトロッテンマイヤーとの心の戦いもあって、結構沈んでたから。心の戦いとは建設的な話し合いができずに、相手のやることとかを嫌だと一方的に思って自分の心がちょい収まるような小さい仕返しをやったりしてしまうこと。やばいね。
具体的には、とよもが夜にシャワー使ってる時、ロッテンマイヤーがわざわざとよもが必要としてつけてたバスルーム前の電気を消しに出てくる。なんでやねん。。。
次の日、いつも11時ごろ帰ってくるロッテンマイヤーにとよもはいつもバスルーム前の電気だけつけといてあげるけど、その日は消して寝た。仕返してしまった。。。
帰ってきたロッテンマイヤーは、真っ暗なことで怒ったのか、キッチンの電気をつけたままバスルームに入り出てきてドア開けたまま、換気扇もつけっぱなしで、自分の部屋のドアも開けたまま大声でいつもの電話通話を長々とやったのでした。(とよもは部屋にいててもバンバン音を立ててドアしめるので彼女の行動はすべてわかる。ああ怖い。
次の朝、とよもは一緒の場所にいるのが嫌で早朝から歩きに出かけた。
いつもの道を行くとボロボロの家の庭に猫が10匹くらいいてる場所がある。
昨日その家の前を通ったとき1匹の猫が道路の端っこで寝てるのが見えた。近づいてみると、白に黒い模様のある若そうで綺麗な猫。
猫の毛には雨の水玉が綺麗について、思わず手を合わせた。
仕事に行って家に帰った後もなんとなくとよもはその亡くなった猫のいてる場所に向かわなかった。
そして今日を迎え、やっと決心して、包める布とバッグも持って行ったけど、さすがにもう1日経ってるからそこに猫の死体はなかった。
今でも頭も中にあるのは、すごく綺麗な猫の顔とそこについてた雨の雫。
その神々しい魂の抜けた猫の姿は、
あの時のとよものぐったりした気持ちを一気に変えた。
いろいろなことが起こってるのは偶然ではなくそれぞれ何かを学ぶために起こってる。それについての行動も自分でやってると思ってるけどきっとそうなるようにはからわれてる
雨に濡れる猫の魂は、ここまで届いてとよもに行動させてくれたことを考えるとこの世にあるすべてのことはお互いにつながっておっきな一つの生命体みたいな感じかな?
それを取計らってる銀河猫協会はすごいと思う。
あばよなみだ よろしくゆうき ウィングマン
いつも使ってる、ほぼ日手帳の一のページに自分で書いたこのちょっと寒い言葉。。。ウィングマンで調べてみたら、漫画に出てくるヒーローの名前らしい。
そのほかに、おこるすべてはわたしに必要なこと、気に入らない人を監視すると病む、自分の感情を全受容する、とかも書いてある。これはきっと長年とよもの脳内でぐるぐるしてるロッテンマイヤー(シェアメイトのイギリス人のおばさん)のことでまた考えてて書いたんや。
そういえばこの前久しぶりに家に帰ったとき、ロッテンマイヤーがいきなり走り寄ってきて『わたし携帯無くしてしまって新しく購入したけど、あなたここのWi-Fiのパスワードわかる?』と、ふぅーん頼み事ある時は、いつものキリキリした彼女とは別人やなと思い教えた。ロッテンマイヤーはそのあとも、いつどこでなくしたとか話だしたので、とよもも警察に届けたん?とか普通に会話した。
この出来事は他人の言語行動に左右されるより、いつも一定の平常心みたいなところにいてることが得策とちゃんとわかった瞬間かも。わかったと思ったのはもう何回目?やばいな。
その後すぐに友達に留守の間部屋にある観葉植物に水をあげてほしいと頼まれて今は誰もいないその家に住んでる。
ここに来てくつろいでる時、いつも脳内に起こる自動再生が止ってることに気がついた。そして何回も後ろを見る、なんか猫というか生き物の気配がすごいする。でもここには猫も犬もいない。住んでる友達は猫も犬も飼っはたことはない。なんかこれは、銀河猫協会から通信が来てるとしか思えない。。。
次の日夕方、道を歩いてたら、病院の横の小山の枯葉の山上ブッシュターきがうずくまってる。なんだかおかしいなと思い、病院の敷地に入り近づいたらそのブッシュターキーは座ったまま移動した。近くには家族?らしき2羽のブッシュターキもいた。帰ってから、動物保護団体WIREDに連絡して誰か保護してくれる人を探してもらえることに。
今朝メッセージ見たら、探してくれるボランティアの人から昨日どこにいるかわからないとメッセージが入ってたので、まだいてるか見に行ってから場所の説明と写真を送った。助けてもらえますように。。。
そして帰ろうとしたら道に真っ白な羽が落ちてた。
これはきっと神様からのお礼?
でもまだ保護してくれる人は来ていない。。。
ブッシュターキ見に行ったら、今朝は近づいても逃げなかった。何回も見に来るとよもに慣れてくれたのか?ただもう動けずご飯も食べられず2日目なので消耗してしまってるのか。早く助けに来てくれますように。
年末から新年にかけて二つのシッターがちょうどぴったりつながって、その仕事も今日まででおしまい。
最初のシッター先のお客様が帰ってきたので、さようならしようとした時、ゆっくりしていってーと言ってもらい少し話ができた。
その中で、とよもさんのシッター料金安すぎと思う。。。と
そういえばペットシッターの仕事は2013年12月から初めて、もう12年目?値段はそのときのお客様が支払ってくれた金額そのままやん。いろいろビジネス的なことも教えてもらい、値上げしやななと心に誓った。その後友達にもそんな現状話してたら、10年以上時給あげていないって。。。おかしくない?とよもの脳内は言われたことにとりあえず、ちゃうちゃうって言うことに設定されてるみたいで反発しそうになるけど、友達は落ち着いて論理的に話してくれるから、そのままなるほどなぁーの世界に。
その友達は価格変更の文章まで考えてくれて、とよもは次のシッター先に行ってから価格変更やる!って決めるまでうじうじしてたけど、今朝文章書いて(昨日から書いてたけどよう送らんかった。。。)携帯のメッセージまず次のお客様に送った!
新年はじめての脱保守的行動。ありがとう親身になってくれたお客様と友達。
自分をいろいろ俯瞰してみることを去年から続けてて、そのせいか脳内自動再生機(ぐるぐるくん)もめっきり少なくなってきてる。
今のシッター先のくまちゃん(6歳の猫)はすごい敏感で怖がりで、シャーシャーが多い。(権威)そんな繊細なくまちゃんがなんでか今回すごいフレンドリーで自分からすりよってきてびっくり。年月のなせる技?くまちゃんも大人になって許容力が溢れてきた?何にせよこれほど嬉しいことはない。
ペットシッターはアニマルコミニュケーションができたらすごい楽しい仕事。
この12年で細々と積み上がってきた経験が、テレパシーになって動物たちとちと心が通い合うようになってきたんかなぁ。ありがとう銀河猫協会。
銀河猫協会は、とよもの脳内協会で、動物と人間はおんなじレベル、もしくは動物の方が人間を導いてくれてる?という考え方を持って生きてる人間の集まり。
ぐるぐるくん捨てて、気高く生きよう。
このブログ、やすみやすみやけどもう16年も続いてる。読み返すと結構他人(というかシェアメイト)に対しての文句多し。いつも頭の中では解決できてるように書いてるけどまた同じことが書かれてる。。。
そういうことを他人軸で生き続けてるというらしい。
小さいことからとよもは、にいちゃんの勉強の邪魔したらあかん。と怒られ、怒られることに対し殻にこもって拗ねることが始まった、それが今でも続いてて(ほとんど一生やん。。)シェアメイトが悪いと思い続け会いたくなく避けてる、ちっちゃい時から進歩してないやん。
でもいい兆しも最近なんか感じてる。。。
そのことについていつも助言してくれる友達もいてる。今回も友達の家でご飯をよばれて、そこにきてたもう一人の友達が小さな布袋くれた。その中にはすごいプリミティブな小さな手作り人形が6体。とよもの好みは激しいけど、これはすごい好き。説明書には,伝説によるとグアテマラの子供たちは一つの心配事を人形に囁いてから自分の枕の下に置いて寝る、そうするとこの人形があなたの心配事を消してくれます。人形6体もいてるからすごい心強い。
これでもう大丈夫や。ありがとう友達。がっつり他人軸。。。
それは昨日のことだ、pass me a smileのサイトもこのブログももう辞めるから閉じてほしい。サイトやブログを管理してくれてる友達に伝えた。
友達は残しておいたほうがいいんじゃあない。
いやもういらない。わたしは終活(身の回りの整理)に入るねん。
でも友達は残すことを辛抱強く勧めてくれて、pass me asmileのサイトにかかる費用のことも、良い方法で今より低価格でできるような技を考えてくれてその作業もしてくれた。
ということで
passmeasmile.com
と、このぶろぐと英語の練習に始めた英語ブログも今も存在してるのでした。。。
そして改めて今日ブログを読んでみると最初に書いたのは2008年4月!16年も続いてるやん。
とよもも今年12月で66歳のお年寄りのカテゴリー。2年前くらいから体重が減ってきて身体が小さくなってきてる。写真で自分を見るとそのことが怖いくらいにわかる、これが老化というもんか。。。
今年6月に仕事を一つなくし気弱にもなってた。
でも、自分が制作した本pass me a smileを改めて今日開いて
最後の書いてある自分の文章に心うたれた。
日本語に訳すと
この本に出てくる動物たちはその環境が自分にとって理想的なものでなくても微笑んでいる。
人間と共に暮らす動物たちは人間の言葉は理解できない。
そして彼らはいつでも自分の心に従う。
個々の人々はそれぞれの個性的考え方を持っている。
動物たちのように、ただあなたの個性的心に従って生きて行けばそこにはあなただけの自然が見つけられるだろう。
あなたの本能を使い
自分の中にだけいまは埋葬されている自然というあなたのオリジナルな
創造力を掘り起こせ。
引用終わり・
すごい。。。
微笑みのなかにクリエイティビティが埋められてる
微笑むことによって創造力は生まれるんや。
微笑むことは生きてる今に感謝しそのことをありがたいと感じられる心を取り戻すということ。
クスッと微笑む心が芽生えたら、それがきっかけで心の奥に埋められてた創造力を掘り起こせるんだと書いてる。。。
つまりクスッと出来ることは心がハッピーでその心持ちが自分のかなに降りていける扉。そこから探索していろんなオリジナルな宝石みたいな創造力を見つけようということみたい。。。
出版から16年で改めて自分の中にカチカチに埋められてた創造力の箱を見つけられた。
pass me a smileの本ももう書店にはなく。私は在庫抱えてるだけなので、もうサイトもいらないよなと思ったけど、思いとどまって16年ぶりにサイトを開き
自分の本を読んで作者でありながら、この本のコンセプトから遠く離れた創造的でない生活を送ってた私に、過去の私からの素敵なメッセージが届いた。
これからの人生まだ微笑むことがあるみたい!
the wish is fulfilled 願いは叶う
昨日シッター先から帰ってきて、youtube見放題、なぜかというと昨日までのシッター先にはwifiがないので携帯にdata入れてケチケチ使う生活してたから。
アフリカで暮らしてた日本人青年のyoutubeで膝を打つ
youtubeで出会ったペンキ画家ショーゲンSHOGEN(african paint artist tinga tinga)この人がアフリカのブンジュ村というとこで6色のペンキで描くアートをを製作しながらその村の家族と一緒に住まわせてもらう1年半?時にその村の村長さんから色々聞いた話をアップしてる。
びっくりなのは日本人の記憶の中には愛と平和で溢れてた縄文時代の記憶が残ってるっていう話。その話は村長さんのおじいさんが夢の中で日本人から聞いたことらしい。
夢の中の話。縄文時代の竪穴式住居では地面と自分の目線が同じになって、すべての生き物や自然から愛され会話もしてたらしい。縄文時代は日本の歴史の中で最も長い?平和で貴重な時代。すべての者たちが愛し愛されて争いのない平和な時代があったんだ。。。
ということはとよもも日本人、そんな記憶が残ってるん?
せやったらどんな人も受け入れられるはずやのになぁ。。。
日本で仕事まみれで人に厳しくなったり、競争の中に飲み込まれてバランス崩してた時。オーストラリアに遊びにおいでと言うてくれた友達がいてたから今のとよもがいてるんやなぁ。。。それからはなんか神様が設定しててくれたみたいにトントンとことは進んでオーストラリア永住ってすごい。トントンと進んでるときに湧いてきた自分の行動力もええっ!そんなことするんやみたいに後から考えたら今でもで信じられないことやった。。。きわきわで救われる。それも縄文時代の記憶に関係あるんんかな。。。
愛され続けてた記憶をよび戻すには自分のことを愛でる、普段の行動について感じることを増やすことかええらしい。
1日一回空を見てこの自然に感謝する、生きてることにも感謝する。その心の余裕で自分はどんどん変化してくらしい。友達とかにも家族にも感謝の気持ちを伝えてみる(自分の心に余裕があり喜びに溢れてる状態で)伝えられた人は自然に嬉しくなるループ。
今ある幸せを体で感じる。
最近よくyoutubeで見る、笠村裕子さんの体で感情を感じきると感情が抜けるみたいなことに興味持ってる。感情は脳にもあるけど、体にも(臓器?)溜まっていくのではという仮説?
なので降り積もってる怒りを言葉で吐き出したらそれは、怒りのツボを開けることになって、びっくりするくらいの今まで溜めてた怒りのエネルギーが出てくるという。。。
でも普通そんなこと家ではでけへん。。近所にまで聞こえるやろし。。。
なので笠村さんは防音的会場を借りて’みんなを集めて一気にやってるみたい。そしたらみんな、たかが外れて、泣き叫びの大爆発という感じになるらしい。。行ってみたいような、怖いような。
でも吐き出すことの必要性はすごい感じてる。
そうした時に、ふと以前友達が教えてくれたインド占星術オンラインセッションのことがぽっかり頭に浮かんできて、すぐにサイト見て瞬間でポチってしまった。。何かに動かされてる感。。。
そのzoomセッションでとよもはなぜか自分の画像が出なく先生だけ見えてたけど、今考えるとその方が集中しやすかったと思う。自分の顔が出てると絶対すごい気になるし。。。
90分はあっ!というまで先生の言葉に覆いかぶさるようにバンバン、言葉が流れ出してきてしまう。。。やばいおばさんに。。。
覚えてることは、土地運がいい(せやからオーストラリアに来れたんや)意志も強く気も強いと言われえっ!自分では引っ込み思案とおもてたけど、こっちに来てから友達の誰もとよものこと引っ込み思案と思ってないみたいでやっぱりオーストラリアの開けっぴろげ、dosen’t matterの土地に来てほんまの自分が出てきたんやな。。(いや、産まれた時からからそうやったんやな)
クリエイティブとも言われそれが一番嬉しかったかも、最近何も活動してないけど。
11月11日からは火星の影響が出てくると言われたけどそれがどういうことなのかも聞けずじまいで終わる。
今まで自分になかった視点で自分のことを語ってもらい、へぇ?の連続で3年間のシェアメイトとのいざこざも話してしまい、それは相手ばっかり攻めてるけどほんまは過去の揉め事やらにこだわって、相手が悪いと決めつけて安心したかったのかもということも分かった。
相違大変なこと(厳しいシェアメイトとの生活も、もう3年)が起こって初めて自分をもっと掘り下げていくことかで来るんやとわかった。
人間も一番ちっちゃいものは細胞のつぶつぶで宇宙の一部。数年前から頭に聞こえてきてた『人間も自然の一部』ということはみんなで一つ。最近自然に花や鳥に語りかけてたり、シッターしてる犬や猫の考えの端っこがちょいわみえてきたような。。。
すべての人に愛を与えることが大切。。。これはインド占星術の先生が’セッション中ずっというてたこと。
意地悪なおばさんとのせいで苦しいとおもてたことは、それに反応して部屋に閉じこもったり私はあなたが嫌いですオーラ出しまくってる自分の態度を自己防衛やから仕方ないと思い続けてたこと。
そういうことが他人軸で生きるということですよってさりげなくいうてもらったと思う。とよもの車の運転席にはこの3年間ずっとシェアメイトが座ってブンブン走ってた。。。
いやーいきなりのすごい運転手交代でやっと今から自分で運転していくで。
ありがとうjyotirmayaさま。
自分らしいって、なに?
分かってるっておもてた自分のことがほんまはわかってなかったという発見
もんちゃんありがとう(もんちゃんはinsutagram森田料理教室の哲学者的会話ができる息子さん)。
いまおもてる自分は自分が体験したことから出来てる。
嫌なことだけがくっきり残ってて
自分は繊細で傷つきやすいとおもてたけど、それは多分いつも
注目から外されてるのではという不安
もしくは全然違うバイブレーションの人が周りにいると、そのなかに入って行けずにその状態をのけものと考えてしまっているネガティブ思考。そして傷ついたと感じる。そのままとじこもり、最後はやりばのない怒りがうまれてくる。。。
ずっと離れてた自分のブログを今見直して、今必要なことを過去の自分が教えてくれてる不思議。。。
とよものシッターキャリアで最長6週間の仕事が今週金曜日で終わるよ。
お客様はリタイアした仲良し夫婦と暮らす、優しい男プリンスとすごいテンションの高い女子FOMO(The fear of missing outという意味らしい。。)は名前の通り私私といつもぐいぐいとよもに迫ってくるし、散歩してると他の犬にウウッーーとか言うし、友達が来ると噛む!のですごい大変。。。お二方ともダーウィンに住むここの夫婦の子供(と言ってももう結婚してる)がさまよってた野良犬を保護して、ここに連れてきたそうだ。
多分その前に仲良し夫婦は愛犬を亡くしていたから州をまたいでまも届けに来たのかも。プリンスが先に来てその数年後にまたもやFOMOも連れてきたらしい。
優しい男プリンスは本当に優しく人間のほとんどの言葉は理解できて、ちょっとそれはないで!という時に特別なコブシをきかせて、ブツブツ文句も言う、、、それを聞くと悪いけどすごい笑える!
FOMOはもうやりたい放題!叱ると、なんでやねん!と言いなが辞めるけど、そのあとこっちを睨むFOMOの瞳に炎が見えて、その度とよもはなんだかなんとも言えない気分になる。
お二方とも一人で生きる厳しさを淡々とやり抜いてきた。当たり前やけど野良犬生活を同じように送ってても、性格全然違うのでやっぱりもって生まれたものがあって、どんな状況でもそれはずっとあるということは人間と同じ。
今回このお二方と長期にわたって生活して、いろんなことにすぐ対応して反応するお二方に翻弄されながら、ああこれが今を生きるということかぁ、ってなんとなく感じた。特にFOMOは自分に素直で止められないパワーがすごすぎて大変やけど、その純粋さに我が心が揺さぶられる。
無意識は観念や情念の沈殿物であると、今読んでる本(ブーバに学ぶ、斎藤啓一)に書いでた。勝手にふんわり浮かんでくる考えが無意識の元になるんや。。。ということは無意識って産まれたてのなんにも経験がない時にはないのかなぁ。。。意識が生まれるのは生後6ヶ月以降とかどっかで読んだような、とすると生まれたての赤ちゃんの無意識は何?無意識がない意識??過去生の沈殿物?うーん。。。
FOMOって天然でそれはなんとなくすごい自由で素敵にも見える。
ここは私の場所!としたいところには布団の上でもおしっこしてマーキングやったるで!最初はびっくりして怒るとよも(掃除とかのこともあるし)でも、しょうがないよな、犬なんやし。。。
ということで、違う考えも受け入れるように体験レッスン超厳しいとよもの先生FOMO。
ロッテンマイヤーがやる嫌味な言葉や態度も、これからロッテンマイヤーの顔にFOMOのお面をかぶせる想像したら笑ってすませられるかもなぁ。。。
何で?写真を撮るとFOMOはなんとなく、よいこふう?