Dance with Galaxies

厳しいシェアメイトロッテンマイヤー最終回。

ある日友達に、ロッテンマイヤーがこんな意地悪するねんとかとうとうと話してたら、友達が一言

そんな嫌やったら、私に言わんと本人に言わな!

うううっ!そうやんね。

今まで2年間ずっと嫌で避けまくって生活してるけど、そのことを本人に言うことは避けてた、以前数回話してみたときはこんな感じ。

と:共有スペースの掃除は交代でしませんか?

ロ:私はいつもしてる。で終わり。(実際やってないやん!)

と:私の髪の毛をトイレットペーパーの前に集めるのはなぜですか?

ロ:集めてない、掃除機をそこだけかけてないから集まるのよ(あなたのいない時は集まってないやん!)

 

何言うてもぴしゃりと取り下げられてこっちの意向をロッテンマイヤーは全然受けいれへんことは何回かの会話でわかってたし。でもここまで嫌なことが積もってきたらもう、自分の精神も粛々と蝕まれていってるはずやし、ここでひとつ勇気をださな。。。

6月25日土曜日の朝、何がとよもを動かしたのか。。。

思い返せばその前の夜に

死ぬ瞬間キューブラー・ロス

と言うyoutubeみてた。

今ある終末医療(緩和ケア)と言う病院でのケアを作った人らしい。この人は主に患者との対話で最終的に愛を与え受け入れられるような心に向かうように色々な対話でしながらそのことを理解でき、全ては繋がってる大きな宇宙のようなもの。みたいなところまで考えが広がるようにサポートしていたのかなぁ。。

本人が患者にそういうサポートしてはきたけど、自分が年老いて脳梗塞で体の自由がきかなくなった時、彼女は、神様はヒトラーだ!と言ったそうで、なかなか理想と現実は一致しなのは誰でもなんや。

けど7年もの長い動けない生活で最後には、人生は愛を与え、自分でも愛を受け入れられるようになれた、みたいなことを言ってその姿が一番可愛かった。

受け入れるlife lessonは宇宙のダンスみたいな言い方もしてた。これはお互いの関係性は宇宙の星の位置関係のように決まってるから本当はその通りに経験して自分は愛をわかっていけるということかな。

そういうストーリィを見て、とよもはきっと、憎たらしいと思ってるロッテンマイヤーも同じ宇宙の星の一つ一つで、憎たらしいと思えは楽しいダンスはでけへんな。。。とか半分無意識でわかってたのかもな。

 

 

土曜の朝キッチンにいてるロッテンマイヤーに気がついたら話しかけてたし。。。

こんな理由で、話がしたいと何回言うても、私はあんたの英語が理解できないと言い張るので、家主さんに入ってもらって話しましょうと提案して、ちょうど家主さんも今日は時間あるということでお昼過ぎに話し合いができるように段取りできた。

そのことキッチンにいるロッテンマイヤーに伝えに行ったら

ロッテンマイヤーはこっちをぎらりとこっちを睨んで、ため息ついて大声で、私はいまポッドキャスト聴いているのよ!(携帯の画面を何度も指で叩きながら。。)とマジ叫んだ。とよもは固まって2歩くらい下がって退散しようとしたら、ロッテンマイヤーはイヤホン外してこっちに来たので、1時からのミーティング家主さんも大丈夫です。と伝えた。。

あああーこわっ!!

ポッドキャスト聞いたことないとよもは、友達にポッドキャストってライブだけなん?って聞いたら、ほとんどのポッドキャストはアーカイブが残るから、その時止めても大丈夫やでって教えてくれた。なんや、それやったらあんなカンカンに怒ることないやんね。

 

そして家主さんの裏庭のテーブルで私と家主さんが座ってたら、なんと!

’’サングラスをかけて、さっきは普段着でカンカンに叫んでのになんかオシャレして大きなスカーフまで得意げにまとって微笑みながら来るやんか。。

なにそれ??なんで裏庭にオシャレしてくるん?

話し合いのためにとよもは事前自分が困っていること書いた紙を握りしめてた。

家主さんが話のはじめに、とよもは日本人で日本人は自分の思ってることなかなか表現できない国民性がある。そしてロッテンマイヤーは英国人でこれまた同じ気質を持っているから二人のコミニュケーションはうまくいかないみたいだね。みたいなこと言うたらいきなりロッテンマイヤーは

あーら、私はもうオーストラリア人のようになっているわ!というのを聞いて、とよもは腰を抜かしそうな気持ちになった。

ちなみにオーストラリア人は、陽気で思ったことそのまま言うすごいシンプルなところがある。。なんでも細かいこと気にしない、関係ないよーで終わる。dosent matterポリシー。

とよも、。。。。。え?まじ

ロッテンマイヤーが陽気なオージ気質?

そうは思えへんけど。。。。

 

ということでとよもは3つ言いたいこと言ってロッテンマイヤーは2つを受け入れ一個はとよもが受け入れるということで話し合いは終わった。

とよもは2年間言えなかったことが、家主さんのおかげで言えて、これがブレイクスルーというやつか!となんとなく、いやすごく嬉しかった。

結果また同じに戻ったとしても、家主さんが事前に教えてくれた、そんな言い方されても気にしない、それはただ彼女の問題だから。ということを心に留めたらちょい楽になる、し。

逆にあなたは思い込み激しすぎ、私なら(家主さん)そんなこと気にならないわとかも、ああそうなんかってわかった。

 

ブレイクスルーの前

6月22日に、コロナの時からずっとクンダリーニヨガと瞑想でみんなをサポートしてきてくれてる、Yukie Tsunoゆきちゃんのクンダリーニ・ メディテーションコミュニティ

でマントラや誘導の音が大きくなったり小さくなったりノイズが出たりしてイライラしてしまい。最後の感想も言えずに退出してしまった。

それでゆきちゃんにあやまりのメールしようとしたら、ゆきちゃんから

丁寧な自己観察のシェアは、いつも私にとっての学びに満ちていて、また、瞑想やクリヤを通して変化していく様子を聞かせていただくのは、私にとっても大きな喜びです。

というメールがきてびっくり。とよもの体験をみんなにシェアしてもいい?と聞かれたので、もちろん!と

ほんま何がどうかわからない、、イライラの怒りがブレイクスルーにつながる重たい蓋をしたから開けるものすごい力になってたんや。。。

怒りもたまにはええ事になるんや。。

ありがとうみんな

Dance with Galaxies

R・スペリー博士からのメッセージ part 2

前にR・スペリー博士からのメッセージというタイトルで書いてからもうすぐ11年経つ。そしてR・スペリー博士からのメッセージの広告を始めて見てからたぶん29年(今調べてみるとこのNTTデータ通信株式会社の広告は1992年にTOKYO COPYWRITERS CLUB部門賞を受賞していた。

そしてこの広告のコピーライターはグラフイックデザイナー誰でも知っているサンアドのコピーライターであった一倉宏さんということがわかった。11年前のブログにコメントのこしてくれたのは一倉宏さん?そして一倉宏さんはその後、中畑広告制作所に。

ここからはとよもの自動回想モードのスイッチが入ってしまった余談です。

とよもが大阪でグラフイックデザイナーしている時、奥村靫正さんが好きでTHE STUDIO TOKYO. JAPANに面接に行った。奥村靫正さんは、アートの作品をたくさん持って行った私に、これを使って自分で広告作って作品にしてたらどうかな。と提案してくれたり、うちではあなたくらいの経験者はいらないけど、よかったら紹介状書くから中畑さんところに行ってみたら?とか、すごい親切に話してくれた。とよもは超緊張して奥村さんの顔も見れず下向いたまま、奥村さん靴下サンローランや。。。とか考えてた。

その時は自分はグラフイックデザイナーなので、中畑さんところに行ってみたら?と言われても、えっ?としか思えず諦めてそのまま、大阪で仕事を見つけた。そのあとオーストラリアに移住したくて、宣伝会議(広告専門雑誌)で杉山恒太郎さんが、カンヌ映画祭でオーストラリアのサーチアンドサーチの、クリエイティブディレクたーのボブさんと君のジャケットもコムデギャルソンだよね?とかお話ししたと書いているの見て、いきなり杉山恒太郎さんに電話して、宣伝会議の文章読みました。私はオーストラリアでグラフイックデザイナーとして働きたいので、ボブさんに紹介してください!と無茶なお願いもした。。。

杉山恒太郎さんは、君が僕の妹とかだったら紹介もできるだろうけど。。。と困られていて、ねぇ本に書いてあることが本当にそのままなんていうことは少ないんだよ、例えば椎名誠が本の中のああいう人物じゃあないということだよって。えええっ!と言葉をなくす私に、もしよかったら大阪電通の00さんという面白い人がいるから、紹介するから会いに行ってみたらとまで言ってくれた。でもこの時もオーストラリアのサーチアンドサーチの、クリエイティブディレクたーのボブさん以外見えてなかったとよもはそのまま何も行動しなかった。。。

こう考えたら、オーストラリア移住前に、すごいチャンス2つも逃してる。。。

すみません、話がえらくずれてしまったのでR・スペリー博士からのメッセージの広告に戻します。

自分が初めてこの広告を目にした時の衝撃と(こういう思想的アプローチが崇高=かっこいいように思えた)その広告をわざわざコピーして、オーストラリアに移住する時も大切に持ってきていて、何度も引越しを重ね結構なものを捨ててきた今でも、この広告のコピーは持ってることにはこれにはきっとすごい意味があるんや。

なぜまたR・スペリー博士からのメッセージを思いだしたのかというと。

とよもはオーストラリアでの3ヶ月にもなる厳しいロックダウンで、頭の中でいつも繰り返されるネガティブな妄想を何とかしたく、ヒプノセラピーを受けることにした。今は対面もできないのでZOOMで受けたけれど、思いの外すんなり事は運んだ。

そしてとよもは潜在意識の世界にちょい入って宇宙の果てに行ってから地球に戻って過去に傷ついていた自分の記憶を今の自分が『大丈夫やでもう心配することないで』って教えてあげた。それはなんていうか心にこびりついてたもつれてた糸を解くというより、ふっと消す感じ?潜在意識の掃除?

ここで、昔見た脳科学者、ジル・ボルト・テイラーの動画を見直す。左脳に血栓ができて機能しなくなり、右脳の世界、つまり宇宙的自分を体験してきた話。

ヒプノの前に、「君と逢える約束の場所」という映画を見ていて、それは細胞の一番小さい物質は素粒子説という仮説に基づいたストーリィだった。

とよもがずっと興味があった非二元の世界、私はいない、起こってることはただ湧いてきたストーリィ。これだけではなんのこと?自分いてるしと思うけど。これはジル・ボルト・テイラーのことから考えると非二元は右脳の世界に入ること。

というのは今の私たちの意識、日常の脳の動きに本気になることなく、右脳と左脳を行き来しながら、バランスとってもっと高い位置から自分を見よ、世界を見よ。あなたは過去や未来に左右されてストレス溜めてるけど、ほんまは素粒子でみんな一緒でいつも今にいてて、何の心配もないんやで。そういう気持ちでおったら絶対日常も変わってくるし、自分に何ができるかもわかってくるんちゃう?ということかな。

広告の他ヘッドコピーと締めの言葉をここにコピーしとくね。

R・スペリー博士からのメッセージは、『人類よ、頭脳に、自信と責任を持て』と、言っている気がする。

『新しい意識の考え方は、それぞれの矛盾しない世界観のなかで統合してゆけるとおもいます。また、それが望ましいことだと、私は思う』Roger Wolcott Sperry

人間は素粒子の集まり、宇宙的存在でそこから左脳により分離されてる感を持っているけど、右脳は宇宙に繋がってるからいつでもどこでも過去も未来もなくただい至福な今に漂う素粒子になれるんや。

こんなにもとよもの心の中に住まい続け必要な時にそのことをまた理解しなおさせてくれる力を持つ心の原石のような広告の文章をそこにそっと置いてくれてありがとう。一倉宏さん

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

年齢差がはげしすぎる、シェアメイト

との生活で、疲れはててーしまうのは〜

そのうえ、最近頻繁に彼が来て?泊っていくってどうなん?

と思って友達に聞いてみると、18歳の娘がいてる友達は家の娘も友達とシェアーしてるけどボーイフレンド泊めたりそこで皆でご飯食べたりしてるよ。それ普通やでって言う考えと。そりゃあちょいいややわなぁっていう考えが。まぁ女友達がたまに泊りにくるのはええけど、ねぇ。異性で朝も一緒にシャワーとか入られてはしゃがれると。。。。

とよもの場合は、まだシェアメイトとは会って2ヶ月くらいでそんなに話しする機会もないし、その子ははじめてとよもがオーストラリアに来てシェアーしてた時と同じく、ご飯も(ピザとコーラ)部屋で食べてる。

ただ、何でも楽しい年頃なのか、凄い明るい性格なのか始終携帯でげらげら笑ったりキャーキャー言うたり声がでかい。

なので、その子がいないときとよもは、あーーー寛ぐ。自分の世界を満喫できるうれしさをかみしめる。

むかしはシェアーして、嫌な思い出が2つもあって、もう二度とシェアーはいややっておもい、長いこと一人で暮らしてたからねぇ、ここも2部屋あるけどもう一つの部屋はスペアルームとして使うから今のとこと人は入れないって聞いて入ったからなぁ。今の状況に慣れられるのかなぁ。まぁその子もいろいろ気を使ってくれてるのは感じるけど。。。

家主さんもいい人で猫も2匹いてるし、自分の部屋の裏に小さなプライベートガーデンあるし、気に入ってる場所やけど。

どうなることやらね。

バンディーナのわらいかわせみブラザーズみたいに、くくくくくぅくわっーって笑い飛ばせたらなぁ。

 

うさぎの鼻つんつんと出戻り感動

うさぎマニアのともだちに、あげる野菜は3種以上がいいよ教えてもらってそうしてるよ。

初めて会ってからもう10日以上たつけど、いまだに触ろうとするとこわがってる。うさぎと心が通い合うのなかなかむつがしい。でもさっき走り寄ってきてとよもの膝をは鼻でつんつんと2回つついてまた離れていった。これは友情のしるしか?

大昔のはなし。大阪でグラフイックデザイナーとして働いてた時のその会社の社長が東京でアーティストの作品を販売するおしゃれなショップを(この言い方がなんか田舎っぽいけど。。)オープンした時に作品をたくさん買い上げてもらって、その作品がanannにも掲載されてびっくり喜んでいた。

そのご、社長とFacebookでも繋がってこのまえとよもの作品をあげますってお知らせがあり、思わず、これはほしい!と言ったらすぐに送ってくれた優しい社長。

かわいいいいいいいー。

送った時は普通のチェーンで、綺麗なクリスタルもつけてなかったとおもう。それを一個一個違うチェーンに付け替え、キラキラ太陽の光を受けて光るでっかいクリスタルをつけてすごい変身してた。いなかもののおんなのこが(素朴というほうがいいか。。。)、スタイリストのコーディネートで別人になったかんじ。

これはそのお店の店長していた人がしてくれたんだ、ありがとう店長。そのうえ買い上げてもらった商品をとよもにプレゼントしてくれる太っ腹な社長ありがとう。

そういえばその会社でデザイナーしてた時の印画紙も輸入物の高い印画紙やった。海外の雑誌もバンバン購入してくれたなぁ、そのうえとよもは2回もオーストラリアに仕事にいけて、それでオーストラリアに移住するチャンス!をつかんだのだった。

考えてみればとよもの人生そこで変わったもんね、すごいことだ。そんな人々に出会えたことにまこと感謝。

陶の芸

金曜日にシドニーのジャパンファウンデーションに青木良太と横山玄太郎のトークに行ってきた。それぞれの作品も展示されてて雨の中行ってよかった。

横山玄太郎さんは子供の頃からアメリカに住んでいたようで、ナーバスになることなく英語で自然体の面白いトークが絶妙で、ああみんなの前マイクで話すこともこんな風に自然に友達に話すみたいにできたらええなぁーと自分の興味あるところにぐぐっとつっこんでそれを作品にする本当に好きなもの作ってる他のことは頭の中にないっていうかんじのふっきれた作品。

日本のテレビ情熱大陸にも出ていた青木良太さんは、今時の金髪おしゃれな若い日本人を通過して、ふと出会った、かっこいいとおもう器に惹かれ陶芸教室にいった時から、何かすごい力にひっぱられたみたい。その後2年間陶芸の訓練校みたいなところにいって、卒業するときにはすでにはじめての個展開催で作品みんなsold out.

いまは世界中で個展して日本で有名なキュレーターからも注目されてるみたい、陶芸の釉薬作りとか粘土と釉薬まぜてみるとか釜の火の周り方とか温度とかすごい執拗に研究しつくしてそこからひとつぶの選りすぐられた作品ができるみたい。その好きなものにこだわる力は飛び抜けてるかんじかするし、若い子をあつめてた陶芸グループとかもつくって、なんか日本の若い子をぐぐっとひっぱってるかんじもありそんなボス的才能もあるのはすごいな。

ふたりとも、トークの後にすごい気さくに話ししてくれて、とよもどきどき。

とよもの陶芸なんかありものの釉薬つかって、窯入れは先生がしてくれて素人のとうげいや。まぁゆっくりやっていつかは釉薬もつくり、釜ももちとかまでいきたいと、ふんわり考えた。

これは青木良太さんが中学生でも買えるようにあんど美濃の陶芸を盛り上げること考え作った量産バージョン。でもなんか、繊細に考えつくされたものであることはくっきりわかる、手の温度のこってるいうか。さわったかんじもなんか手に吸い付くみたいなすべすべ感、お皿とかおちゃわんとかもあったよ。

これは注文されてつくったねこかっぷ。磁器。

すごい陶芸家二人の話しの後ではちょっとね。。

 

無理やりはいってぱつぱつ。

しろねこさんはあとでめりこんでくる長毛さんを舐めてあげるのに、ちょうもうさんは最後にはパンチでおいだす。

ちょうもうさん先住ねこでそこに子猫だった白猫さんがきて、そのときは長毛さんがお世話したらしいが。。。

久しぶりすごい作品にふれましたわ。

とよもが初めてオーストラリアに住むようになった場所シドニーのサリーヒルズ、ああなんとなくいいかんじのひびきやね。

surry hills 住んでたとこは家ではなく倉庫、当時5人くらいでひろーい倉庫に間仕切りとかして暮らしてたのですわ。

そこは広ーいので、日中だけアトリエとして絵を描きにくる女の子がいてました。

とよもは、皆が居なければ解放やーーって、広ーい共有スペースでビデオみたり、ソファにすっぽりおさまって本を読んだりしてたけど、誰かが帰ってくるとそーっと部屋にもどってた。なんやろね、人が居てると寛がれヘん。そんなことしてたとき、絵を描きに来るおんなのこが、置き手紙をおいていった。

ここはあなたの家なんだから、誰が来ても気にすることなく寛いでね。

そんなこと考えてくれてる人がいてんねんなってうれしかった。かな

当時とよもは自分の部屋で絵とか描いてたりもしてた。

ある日絵を描きに来てる女の子が、とよもの部屋にすごいでかい、キャンパスっていうの?、1mくらいの3つ使ってくれる?ってくれた。

それでそのキャンパスに絵を描いて、個展してひとつ売れたよ

個展した時にはその子はもう、家に来てなくて他のアーティストが共有スペースで作品を創ってた。

ああそれから20年以上の月日が経ち。とよもにキャンパス大盤振舞いしてくれた女の子が個展をするってFacebookで知ったんで昨日オープニングに行こうと想って電車にのって行ったけどギャラリーの場所が分からず一人でとぼとも帰って来た、なんやねん!

グーグルでギャラリーの場所もう一回調べて今日またいってきたよ。

日本に居てる時、横尾忠則の個展に行って、そのときそこに入った瞬間になんかぐわわわわーんとくるものがあって、こりゃあすごいわ。絵をみるでなくて、そこにはいっただけでぐわわわわーんなんやって

その時と一緒の感覚があった、その女の子の名前はEMMA WARKER

フリーダカーロでもモネでもその感覚はなかった。

dscn6649

dscn6657

emma warker

arthouse galleryで個展中

体と感覚で自然と繋がる

Murdoch Bookで働いてた時に仕事のチームでは無いけどいつも通りがけになんやかんや話ししに来てくれたやさしいkateという人がいた。keteがとよものこと友だちにも紹介してくれてその友だちからもメールもらって何回かやりとりしてて、今回そのともだちTamryn Bennettと他の3人とコラボしてるPhospheneのオープニングに行って来た。Tamrynは以前から自分でストーリィとか創っていて、詩人でもある。

Phospheneとは目を閉じた時に暗闇の仲に見えるチカチカするひかりのこと?らしい。体と感覚で自然と繋がるというコンセプトでアートワーク、詩、別の部屋ではダンスパフォームの映像にNASAからとられた宇宙の音?と植物染めされた枯れ木をつかった空間がつくられていて、そこにいるとなんとなく別の次元にいったみたいな気分。
写真写真 copy 2写真 copy 3写真 copy

朝のマーケットと岬巡り

金曜日に久しぶりに友達と外でご飯を食べたとき、『陶芸やりはじめてん』っていうと
ともだちが、『Keiko Matsuiサン知ってる?』といって彼女の作品をiPhonedで見せてくれた。
その作品はシンプルな白い器に星が散らばっているようなデザインでシンプルだけど洗練されたその感じに惹き付けられて、帰ってから名前を検索してみたらサイトがあったよ。
http://keikomatsui.com.au
そこにニュースレター申し込みがあったので、
もうしこんでみたら、なんとすぐにニュースレターが送信されて来て、そこには明日マーケットに出店するとのお知らせプラス
ニュースレターの登録ありがとうございました。もし、マーケットにこられる場合、是非ぜひ声をかけてください。
とのメッセージが。
いくよーいくよー
Coal Loader Artisans Marketは、マウントクーリンガイと同じ路線の小さな駅から歩いて10分くらいの岬にあった。昔に石炭を積み降ろし?した建物みたい。
そこにはアーティストの作品とカフェ、コミュニティーガーデンもあってすごいいい雰囲気。
けいこさんのストールはすぐに見つかって、初めて会ったのになんだか、すーっと人を受け入れてくれれる感じで緊張せずに話す。彼女は凄い遠くに住んでるけど,来月くらいにシドニーでワークショップするって教えてもらって、あああー行きたい。
話していても次から次へと、けいこーとハグをしてくる人たちが訪れる。なので写真だけ撮らせてもらって帰ってきた。
帰りに野菜ガーデンと岬巡りしてすごいいい気分。
下がカラフルなカップが好き

おっきなフェルト作品、おっちゃんがつくったあみぐるみ、水彩で描いた羽が綺麗。

古い写真を古いハンカチにプリントして加工した作品

ねこのおじさん高橋榮さんと人生の急カーブ

『なぜ、面白くない仕事つづけてるの?』
これは、とよもが大阪デザイナー学院を卒業したあと就職したデザインスタジオで始めての大きな撮影を経験した時に、知り合ったフォトグラファー高橋榮さんから質問された事。
たぶんそこで働き始めて10年以上たったときだったとおもう。
仕事はきつく、深夜にタクシーで帰って、おふろはいって、弁当つくってると出社の時間みたいな生活をつづけてた。仕事の途中で具合がわるくなって、近所の病院で点滴してすぐに仕事にもどったり、それでもそのことに何の疑問ももってなかった。いい仲間がいたから楽しくもあったけど。
夜中まで働くのがあたりまえ、会社に入ったら長く続けるのがいい。他の人が残業してるから自分が終わっても帰らず手伝う。そんな世間で言う常識に覆い尽くされて。
そんなとき、『なぜ、面白くない仕事つづけるの?』ととわれて
えっ?とかたまったけど
そうかもと
就職活動はじめた。
好きとおもうグラフイックデザイナーのところに作品と履歴書おくって(そのころは若かったからか、有名という事に憧れてた)、当時のあこがれアートデレクター奥村 靫正さんのスチューディオトウキョウジャパンにも面接に行ったけど、とよもはずっと下見てたので、奥村 靫正さんのくつしたがサン•ローランだということしかみてなかった。それでも、奥村 靫正さんはとよものもっていった作品の絵を、素材にしてポスターにするとか、自分の作品をデザインしてみせるといいよ。今僕の会社はもう決めている人がいるから、採用できないけど、中畑の所紹介しようか?とまでいってくれた。中畑とは当時糸井重里と共に、売れっ子コピーライターであった仲畑 貴志さんことだ。
当時はなんでコピーライターの所で仕事せなあかんのっておもって、紹介してもらわなかったけど、今考えたらすごいオファーであったなぁ。。。
面接で一緒に待ってた男の子は、バタアシ金魚という演劇してるんですといってたなぁ。誰だったんだろう。
そうこうしてるうち、地元の大阪でひとつ、いいなぁとおもうbody plusというスタジオがあって、人募集してませんかと電話すると、ちょうど人がやめたとこ(そのやめた人はそのあとUAになった)なので募集しようとおもってたんです。ということで就職できた。
そのbody plusでオーストラリアロケというのがあって、ここに来るきっかけになった人、Brett Hilderにも会えて、高橋榮さんの一言によって、とよもの人生が急カーブをきった。きききっー
それと、もういっことよもが初めて作品つくったきっかけも高橋さんだった。
当時高橋さんからお借りした、ポジフィルムを無くしてしまった、そのとき高橋
さんは、いいよべつにって。。。
それで、とよもは、真鍮の針金でちいさな猫を抱く高橋さんを創ってプレゼントしたら、いつもはすごい威圧的な高橋さんからふっと気が抜けて、似てるねってちょっと笑顔になったような。。。
そのちがいを体全体で感じてはじめて自分の創った物が多分人のこころ動かしたんだっていう体験をした。その体験はいまのとよもの作品のなかでちいさくつづく力になっていることは確かだ。
去年の10月に大阪で働いてた会社のともだちから、高橋栄さんが9月23日に永眠されましたとお知らせが。
そして今日youtubeのなかにみつけた高橋さん。
昔大阪で仕事してる時は大好きな飼い猫ぐりさんをいつもつれてきてた。
ぐりさんは、下半身がうごかないので、おしっことかだしてあげないといけないから。
家でもたくさんの猫と一緒にくらしていたみたい。
きっと猫達もいっぱいの感謝の気持ちもちつづけてるとおもう
ねこのおじさん高橋さん。
たくさんの猫ととよもを救出してくれてありがとう。
感謝。
自分しか運転できない自分の人生、好きな方向にカーブきりまくれ。きききっー
https://www.youtube.com/watch?v=cFXPRGj4tI4

動物とくらしたいなぁ

昨日こんな記事を読んだ
砂漠にある家で11種類200匹の動物達とくらす日本人女性
http://www.huffingtonpost.jp/2014/12/25/hanamomo-200-animals-uae_n_6380802.html
ああーいってみたいな、こんなところ。
その美奈子アルケトビさんははしもとみおさんという彫刻家と友達で、またこの方の作品と創る事への神髄さがすばらしい。http://kirinsan.awk.jp/pages/oitati.html
先日知った、ミロコマチコといい、今月はすごい刺激を受けたなぁ。
猫シッタージプシーちょっと休暇で今は家に帰って来た。
家主さんは姪の家で1月の中旬くらいまで過ごすという事で、ここにはとよもひとり。
そんなところに、みっしゅがやってきてくれる。ことしのありがとうの気持ちをこめて、ふとんのうえで寝かせてあげよう。ノミの卵はあとで、くるくるすればいい。
みっしゅ、やせたなぁ。。。