天気みたいに勝手に流れるみたいに生きてゆく。

40days 瞑想ジャーニ 『ハートを開く~so hung/i am that infinity~』

by Yukie Tsuno

Day 19 おぼえがき

乾燥の大地のオーストラリアなのに、ずーっと梅雨のようなしとしとが続いてたシドニー、今朝は久しぶりに晴れてる!一瞬の朝日の色にはいつも一瞬で心奪われる。

天気は瞬間で人の心を変える。

長い雨があったから今朝の朝日がすごい貴重な瞬間に思える。

瞑想の前に今朝のそんな心の動きを先生と話してた。今の自分の気持ちと言うのは、積み重なった経験から醸し出されるものなので、その度心の中で過去のつらかったことを思い出して心のひだに分け入りその時の気持ちとか気持ちの裏側にあるものとかを探ったりしながらなんでそう思ったのか自分の気持ちを確認してる。(この前のヒプノセラピーで学んだこと)みたいなことも。

自分の気持ちというものは、放っておくといつも自分を守るように考えるから他の人が悪いということになるしそうだと何も学んでいけない。(私だけ?)

瞑想をしていると、スノーマンみたいな巨大な方が現れて私をゆりかごみたいに優しくハグしてくれた。そのあとすぐに場面が変わり自分が誰かを思いっきり平手打ちしてる。バシッ!!

平手打ちした瞬間相手は私を優しくハグした。。。なにそれっ!

これはきっとちっちゃい時におかんに『産んでくれって言うた覚えはないわ!』と言ったことを今まで反省もせず、ずっとおかん悪いと思い続け、そのことが自分にはトラウマになってる!と思てた。けど今、『そんなことどの口が言うねん!』と瞬間で爆発したおかんの気持ちがやっとわかったのでした。そんで心の中で『ほんま命かけて産んでくれ、育ててくれたおかんの気持ちもわからんとごめん』とあやまった。

もう遠くの昔に亡くなっているおかんが今、

『お前いまごろ気ぃついたんかいな』

って出てきてくれ、赤ちゃんの時みたいにやさしく両手で包んでくれた(そうかスノーマンもおかんやったんや。。。)

涙。

瞑想ってヒプノセラピーみたいに潜在意識の中に入っていける、特に今朝のように先生がいて、今の体の状態や気持ちを聞いてもらうと、お互いダイレクトに繋がれて、パワーがすごくなる。それは私にとっては神秘体験。

瞑想が終わると、大きく息を吐いて、疲れ果てた渡り鳥がそっと羽を休めれる場所にいるみたいな気分。。。いつでもここに帰ってこいよーとオカンがつぶやく。

いつも私なんか。。と思う癖のある私の裏にはいつもわたしをかまってほしいという気持ちがもう押しつぶされて乾燥しカチカチになってた。乾燥カチカチはしとしと雨で流され柔らかくなってたんか。。。

闇と光。

それは一緒。どっちが悪いとかでない一体。それは自動的に流れていくもの。

さぁこれからもゆっくりと素敵なジャニーが続く。

sat nam

 

 

 

積み重なった地層から流れ出るマグマ?かもしれない

苦し紛れの人間は鉱物論

今朝起きたら空に雲が。

乾燥の大地オーストラリアには珍しくここ二週間くらいグレーの雲に空は覆われしとしと雨が続いてた。

実際の長い雨と、とよもの頭の上にある雲はリンクしてるかのように心の中もずっとモヤモヤがすくすく育って怒りや恐怖にもなってる。

朝日が空の色を一瞬だけすごい色に変える瞬間にはいつも心がシューっと天に伸びていくような心持ちがやってきて笑顔になれる。ほんまこの雄大な自然の中で暮らせていることがありがたい。

そんな太陽や雲や風を感じてるとふと、自分も鉱物という言葉が浮かんできた。

鉱物は地質の中で元素が長い年月かけて育っていく(と思う。。)私たち人間もも鉱物と同じく自然の影響の中でそれぞれ育ってるという意味で同じなんかな?

鉱物は反射された光の波長によって色がある。色はつぶつぶが反射してる光。

自分も鉱物と同じということは自然と成長していってるということの意味。

人間界では自分と他人があって感情があることが普通の設定なので、鉱物よりややこしく、いろいろな心の葛藤も出てくるけど、人間も鉱物と同じだと思えはずべてが自然なのでなすがまま。

隣のおばさんが私の気持ちを逆なでするとしても。それはすべて人間特有の判断があるからそう思うだけ。判断はオートマティックに出てくるけど、判断を捨てるとそこには何もない。

そうや、私は鉱物、光を受けて反射できる鉱物。

自分を解放する一番のグルは猫

dokodemo

改築中の梱包ビニールの上でねむりにおちるでーのミミちゃん。猫は環境に左右されずどこでも自分のものにする、すごいわ。ほかに何も考えず、ただいまここで快適に過ごすために頭を使う、それだけ。

自分を解放する一番のグルは猫。猫はいやなことはぜったいしない。あたりまえやけど自分を繕ったり嘘ついたりもしない、けど喧嘩のときだけ必死で自分を大きく見せようと全身の毛を逆立てるけど。

猫は猫に好意を持つ人を瞬時に見分けるし、いいたいことはどんどん送ってくる、人間が猫を猫と思わずともだちみたいな感覚で気遣うとちょっとした視線や動作で今何を求めてるのか分かってくる。そうすると猫も人間の言葉に軽く反応するようになってくる。

そこまでいくと、おたがいのテリトリーには入らないように、自由に同居できるようになってくるね。ああペットシッター、いろんな環境いろんな犬猫うさぎ、毎回何かを得られる。

みみちゃんわたしはいない?未来も過去もなく今ここだけ?うにゃ〜。みみちゃんは非二元そのものだ。生きとしいけるものすべて自然の一部でみんないっしょ。人間が万物の霊長ではにゃい。脳が発達しすぎたのかも人間。

山にとけこみたい

いやぁ〜おひさしぶりです。
ばなやんも無事里親さんがみつかり、またひとり山暮らしでございます。
前から興味しんしんの9キロ4時間(とよもにとってはすごい)、ブッシュウォーキング行って来ました。携帯ももっていない一人暮らしのとよもがひとりでゆくとまよっても誰にも分からないので、ともだちに一緒にいってもらった〜(けどブッシュで電波はとどかなかった)。
THE GREAT NORTH WALKと呼ばれるこのルートは、マウントクーリンガイから、となりの駅ベラウラまで山のなかをくねくね登ったり下りたりして歩く。いちおう表示はあるものの、道と言っても人か歩いた形跡のあるただの地面のところもあるので、どこが道が分からなかったりもする。川みたいなところでは大きな石の上をひょいと飛んでいかなければ行けないところもあって、腰がいまいちあやういとよもはびくびく。でも前にすすまなどうしようもない。すすむのみ。
なんかそういう状況が今のとよもに必要な事や、やまの主が語りかけて来たような気がした。
歩くごとにあたりの空気の温度が微妙に変わる、林を抜けるとすごーい草原とか、宮崎駿さんに教えてあげたくなるような、グリーンの岩場のしずかーな深い水、そばには色んな種類の小さな苔がミニチュアの森みたいに群生してる。
心に余裕があれば
興味ある物に寄っていろいろなことつっこんで見れたのだろうけど、これからどんな道が私たちを待ち受けてるかも分からない恐怖(おおげさ)もあって、1時間くらい歩くとだんだん二人は無言で進むのみ、みたいなかんじになってきた。
途中で私たちをおいぬいてゆく歩き慣れてる感じのおじさんがいたので、ちょいと!って、つかまえて『あと3時間くらいでベラウラですか』と聞いたら『そうだね、その前にすごーい急勾配があるよ、でもビューティフル』といいのこし、さるのようにすたすた歩いていってしまった。すごーい急勾配ときいて、ファイト一発!のコマーシャルをおもいだした、目の前がまっくらになった。
やったるで!じゃなくすぐに目の前が黒くなるのはなんでなん(自分への問いかけ)
小道を抜けた目の前にひろがる大草原に感動して、来てよかぅたわぁとおもったものの、そのあとブッシュの倒れた木にこしかけ、お弁当たべてなにかに追われてるようにすぐにまた出発。
すごーい急勾配は3時間以上歩いてへとへとになったわたしたちの目の前に現れた。。。
『45度以上断崖絶壁や』
でもちゃんと丸太で階段みたいなものをつくってくれてる、登っても登っても断崖絶壁、開けたところにでて、終わり!かとおもうとまた階段、足はもうただ動いてるだけで休んだらもう動けなくなる気がしてふたりとも休めなかった。
まじですか、かんべんしてください、よいしょ!。を何回となくくりかえし、もうしらん〜っておもったとき、やっと平らなところにわたしたちは出た。
疲れも吹き飛ぶさわやかな達成感、
これが登山する人の気持ちやなぁ。
あとはベラウラの駅まで森の中の道を1.5キロという表示、もう大丈夫とおもった先に道が2つに分かれてて表示が無い、一つの道を進んでみたけどだんだんまた山の中に入ってゆく感じで、ひきかえしてもう一つの道をすすんだ、歩いても歩いても歩きにくい砂利道は続くもう1.5キロどころではない、でも疲れ過ぎでそこからまた戻る事は考えす、とにかく砂利道をあるきつづけた。
『おわりとちゃうん。。。』
歩きつづけると木の間になにか建物が見える。でも進むとまた見えなくなっていよいよ幻想?
駅はどこ?とおもったときに
『ああーでぐちのゲートがあった!』
ゲートからはすぐに一般道に出た、家からゴミ捨てに出て来た人に駆け寄り『駅はどこですか』ときくと、『駅ならここから上り坂20分くらいでつくよ』。
上り坂20分!にまたはげしく体力がぬけ疲れがこみあげる。。。
国道沿いの駅に着いた時には4時間40分くらいたってた。。。
このコースはたぶんベラウラからはじめて、急勾配を下りて景色を楽しみマウントクーリンガイまで行くというのが正解と思うと友達、なーるほど。
逆流のわたしたちは、もうつかれはて誇らしい気持ちもぼろぼろになり。
ブッシュウォーキングって人生みたいとおもった。
すすむしかない、前を見て何があるか分からない事に恐怖覚えると今現在をたのしめない。
最後まで気を抜くでない。
ダイビングした時にも思った、海にもぐると完璧な自然の世界で人間はとんだ場違いな変な生き物みたいに感じた。山でもそれは同じ全て調和してるなかで私たちだけがなんか異様。
自然にとけこむにはまだまだやなぁ。