なんでもポジティブに受け取る癖をつけてみる?

物事に対しての自分の捉え方で、体験も変わるって、昔自分がブックマークしてたサイトに書いてたのを今日見つけ、必要なときに必要な情報が目の前に現れる凄さを感じた。。。

それは別に新しい考えでもなく、みんなが知ってることなんやけど、いつも忘れてることでもある。

前にも書いたけど、うちのオカンが

とよも『寒いー』

オカン『寒いと思うから寒いんや!』

その時は、ほんまに寒いんにゃ〜とおもてたけど、その意味は気温が低いと寒く感じるけど、自分の意識を寒いから離して、他のことに熱中したりすると、寒いことは忘れてしまう。そんなことか?。

しかしまぁいっつも熱中してるわけでもなく、というかぼんやりしてる時間が最も多いけど、今感じてることが嫌なら違うこと考えてそっちに感情を移行させる術を学ぶべきということ。

もやもやしてたら、あっ!もやもや!!と気がついて、空を見るか、目を瞑る。何もない、もやもやもない。すごい簡単。頭の中の自動再生装置スイッチオフ。自分がからのパイプになる。

そうすることを続けてると、シッターで犬の散歩している時も『2匹は大変ねぇー』と微笑まれたりして、からのパイプに優しい感情がちょっとづつ流れ出す。

とよもはなんでも責められてる、やばい!と思う癖もついてると思う。

けど、『責められてると思うから、やばい!と思うんや』にして

責められてるのでなく、考えが違うだけにしとく。か、ほうほうそういう考え方もあるんや。とのほほんとする。それで私の周波数は滑らかに変わるんかなぁ。。。

これは星雲(Nebula)というものらしい、

星雲とは、輝いた雲のように見える天体。大部分がガス状の物質からできているものと、無数の星が集まっているものとがある。
人間も宇宙の一部という声が昔聞こえてきたから、私たちはこんな写真みたいな集合体なのかと思えば、だれがどうしたとかもう関係な〜い。って気持ちにはなるね。

神様的力ってほんまにあるんや。。。

9月17日からもうずっとシッターがつづいてて1月22日まで家に帰らなーい。ペットシッターという仕事がどんどん来てありがたすぎる。

シェアメイトのロッテンマイヤーと上手くいかなくもう3年も暮らしてて、すっと会うのも嫌で、なるべく会わないようにしてたから家にいててもリラックスできてなく、そうなると心はどんどんネガティブに。。

いろいろ対策とか話し合いとかしても、また他のことで嫌やーってなる。もうこれは、自分のかんがえかたを変えていくしかないって、隣の部屋でロッテンマイヤーが娘になんやかんやキリキリ話してるのが聞こえてきてもとよもは鼻歌で気分よくとこころがけてた。

自分と周りの世界の成り立ちとか、量子とか気とかも色々ネットで検索して、自分を自分でどう動かしていくのかということははっきりわからんかったけど。まぁ自分で自分をハッピーにできるよう心がけるだけで変化は起きてきた(変化まではかなり長かったけど、起こったらもうパタパタ黒が白に)。。

要するに自分の気持ちがハッピーになったら、今度は神様的力が自分をフーッといい方向に運んでくれる感じ。

ちょうど、そんな時に以前すごい影響された、藤井風のGlaceという曲を聴いていろいろな解説動画見て、ああやっぱり神様的力ってあるんや。しんどい時でも頑張って自分のあり方を探してたら、ふっとあるとき楽になるんや。

相手のせいと思ってたらその問題はズーーット解決しないことも分かった。結局それでは自分んがネガティブやから。。

人生の転機1、大昔大阪でグラフイックデザイナーの仕事してた時であった写真家の人に『なんでこんなクリエイティブな仕事してない会社で働いてるん』と言われて、うわぁ!って目が覚めて会社辞めて新しい会社に入って、短い休みに友達が働いてるオーストラリアに行った時に、運命の人に出会いその人を頼りにオーストラリア移住した時となんか似てる。その時はその人によって、目が覚めたけど、今回は自分で探して見つけ出したことで、流れが幸せな方向に変わった気がする。

https://www.youtube.com/watch?v=rSYoIuyks8g

passive agreshib受動的攻撃

山の上の教訓?

木々に囲まれ鳥がさえずる山の中、早朝の谷底にはいつも霧が雲みたいに見える。そして家にはとよもが大好きな暖炉がある。

焚き火はもっと好きやけどなかなかできることがない、暖炉もなかなかある家は少ないけど今回のシッター先にはあった!。でもおおきな薪を燃やすことは結構難しい、紙に火をつけて燃やしてもなかなか薪に火がつかない。散歩で葉っぱや小枝を集めてきて燃やしてもずっと雨で湿っててなかなかつかない。

今日は朝からずっと暖炉に火を入れることに集中して(好きなことにはすごい集中力を発揮する)、やっとメラメラと大きなマキに火がついた!でもすぐに触りたくなるとよもは変な風に薪を動かしてまいカルシファー(『ハウルの動く城』に登場する火の悪魔)沈没。なかなかむづかしい。

薪に火をつけながら、人生の教訓的youtubeで、全てを自分のせいとして引き受けると逆境ものり越えられるみたいな話を聞いてた。以前にも何回も同じようなことは聞いてるけどなかなか納得できず。また聞いてるし。。。

自分のエゴがそんなこと素直に認めるはずもなかったけど、昨日新しい言葉を発見して、ぎくっとしてからなんかやっぱり自分なん?という気分に。その言葉は

passive agreshib受動的攻撃。

具体的にどんなことかといえば。相手に対して、消極的かつ間接的に不満や怒りなどを伝え、攻撃すること。たとえば嫌な人のこと無視することによって相手に何らかのストレスを与える。影で相手の悪口を言ってその人の足を引っ張る。 要するに面と向かって意思表明できないヨワヨワな人が自分のストレスが収まるように間接的にとるせこい行動。

これは日本では結構よく見られる行動と思うけど、意思表明をはっきりするアメリカなど海外ではすごく嫌われることらしい。。

あるあるある、とよもやってるやってるここは海外オーストラリア。

passive agreshib受動的攻撃。ちっちゃい頃から、やってたなぁ、ベッドの下に誰々のアホ!とか書いてたなぁ。ベッドの下なんか誰も見ないから攻撃にもなってない、もやもや解消法やけど。。

消極的かつ間接的に不満や怒りを伝える。

これをやめよう!堂々と相手に言おうぜ!。

こうして、やっぱり嫌なことが起こるのは相手のせいだけでなく、自分のせいでもあったんや。。。

もうシェアメイトに意思表明もした後やし、種火にも灰かけて完全鎮火。

この炎とともに、怒りは天に昇ったと思いたい。。。

素敵方のシッター

 

2014年の誕生日にとよもはこんなに素敵方のシッターをしていたのでした。。

この方はダニーという名前の男の子だけどすごく美しく優雅、でもフレンドリーでいっつもくっついてきてくれた。シッター依頼したくれたのは友達やけどこの猫は友達の猫でなく隣の家の猫らしい。でもダニーはほとんど友達の家にいてご飯もそこで食べてるから、友達が旅行に行く時とよもにシッターを頼んだのでした。。。シッター代は飼い主さんに請求もしていない模様うーーん。飼い主さんはどうしているのであろうか。。。

それから約8年、その友達はその間に引越ししてダニーはもう来れないけど最近また、飼い主さんがどうしても留守にする時は遠くから友達の家に預けに来るらしい。どうしてかというとダニーは子猫のときに捨て猫でトキソプラズマという病気にかかっていてどんどん症状が悪化し下半身付随で失明してしまっていたのだった。以前はまだ盲目ながらも自分でトイレに行ってたけど、今はもうトイレにも行けずクッションの上におしめシートを引いてもらって寝てる。

今日ダニーが来てるから会いに来る?と友達からのメールですぐに行ってきた。ダニーの体調はかなり悪いと聞いていたので、今日いかなもう会えないかもとも思って。。。

ところが、行ったらダニーは茹でてもらったエビをばくばく食べていた!元気やん。ここずっと雨模様だった天気が急に晴れてきたので、ダニーを庭に出してあげようということになり抱えて庭に出る瞬間にうわーー!おしっこがポタポタとよもの足に。。。それでも庭に行ったダニーは下半身を引きずりなからもいきたいところへ移動して日向で優雅に座ってた。

部屋に戻すとダニーはやっぱりおしっこくさい。。。

二人いてるから下半身だけでも洗ってあげよう!

ということになり、お風呂場に直行。

ダニーは連れて行く時だけはぎゃーって怒ったけど、猫洗いはとよもの得意技なので、二人でシャカシャカ洗ってダニーはドライヤーも大丈夫で、すぐ乾かして、毛玉を切って終了。

写真のご飯はダニーのでなく友達が作ってくれた野菜のすーぷだよ。

猫のいいところは瞬間に持ち上げられて怒ってそのあと怒りはすぐなくなって毛づくろいとかして落ち着く、この技はとよも見習うべき。

ダニーは私達二人に褒められ、撫でられ、たぶん喜んでたと思いたい。。。

この写真は洗う前、今でも優雅さはしっかりのこつてておまけにかっこいい!

 

 

Dance with Galaxies

厳しいシェアメイトロッテンマイヤー最終回。

ある日友達に、ロッテンマイヤーがこんな意地悪するねんとかとうとうと話してたら、友達が一言

そんな嫌やったら、私に言わんと本人に言わな!

うううっ!そうやんね。

今まで2年間ずっと嫌で避けまくって生活してるけど、そのことを本人に言うことは避けてた、以前数回話してみたときはこんな感じ。

と:共有スペースの掃除は交代でしませんか?

ロ:私はいつもしてる。で終わり。(実際やってないやん!)

と:私の髪の毛をトイレットペーパーの前に集めるのはなぜですか?

ロ:集めてない、掃除機をそこだけかけてないから集まるのよ(あなたのいない時は集まってないやん!)

 

何言うてもぴしゃりと取り下げられてこっちの意向をロッテンマイヤーは全然受けいれへんことは何回かの会話でわかってたし。でもここまで嫌なことが積もってきたらもう、自分の精神も粛々と蝕まれていってるはずやし、ここでひとつ勇気をださな。。。

6月25日土曜日の朝、何がとよもを動かしたのか。。。

思い返せばその前の夜に

死ぬ瞬間キューブラー・ロス

と言うyoutubeみてた。

今ある終末医療(緩和ケア)と言う病院でのケアを作った人らしい。この人は主に患者との対話で最終的に愛を与え受け入れられるような心に向かうように色々な対話でしながらそのことを理解でき、全ては繋がってる大きな宇宙のようなもの。みたいなところまで考えが広がるようにサポートしていたのかなぁ。。

本人が患者にそういうサポートしてはきたけど、自分が年老いて脳梗塞で体の自由がきかなくなった時、彼女は、神様はヒトラーだ!と言ったそうで、なかなか理想と現実は一致しなのは誰でもなんや。

けど7年もの長い動けない生活で最後には、人生は愛を与え、自分でも愛を受け入れられるようになれた、みたいなことを言ってその姿が一番可愛かった。

受け入れるlife lessonは宇宙のダンスみたいな言い方もしてた。これはお互いの関係性は宇宙の星の位置関係のように決まってるから本当はその通りに経験して自分は愛をわかっていけるということかな。

そういうストーリィを見て、とよもはきっと、憎たらしいと思ってるロッテンマイヤーも同じ宇宙の星の一つ一つで、憎たらしいと思えは楽しいダンスはでけへんな。。。とか半分無意識でわかってたのかもな。

 

 

土曜の朝キッチンにいてるロッテンマイヤーに気がついたら話しかけてたし。。。

こんな理由で、話がしたいと何回言うても、私はあんたの英語が理解できないと言い張るので、家主さんに入ってもらって話しましょうと提案して、ちょうど家主さんも今日は時間あるということでお昼過ぎに話し合いができるように段取りできた。

そのことキッチンにいるロッテンマイヤーに伝えに行ったら

ロッテンマイヤーはこっちをぎらりとこっちを睨んで、ため息ついて大声で、私はいまポッドキャスト聴いているのよ!(携帯の画面を何度も指で叩きながら。。)とマジ叫んだ。とよもは固まって2歩くらい下がって退散しようとしたら、ロッテンマイヤーはイヤホン外してこっちに来たので、1時からのミーティング家主さんも大丈夫です。と伝えた。。

あああーこわっ!!

ポッドキャスト聞いたことないとよもは、友達にポッドキャストってライブだけなん?って聞いたら、ほとんどのポッドキャストはアーカイブが残るから、その時止めても大丈夫やでって教えてくれた。なんや、それやったらあんなカンカンに怒ることないやんね。

 

そして家主さんの裏庭のテーブルで私と家主さんが座ってたら、なんと!

’’サングラスをかけて、さっきは普段着でカンカンに叫んでのになんかオシャレして大きなスカーフまで得意げにまとって微笑みながら来るやんか。。

なにそれ??なんで裏庭にオシャレしてくるん?

話し合いのためにとよもは事前自分が困っていること書いた紙を握りしめてた。

家主さんが話のはじめに、とよもは日本人で日本人は自分の思ってることなかなか表現できない国民性がある。そしてロッテンマイヤーは英国人でこれまた同じ気質を持っているから二人のコミニュケーションはうまくいかないみたいだね。みたいなこと言うたらいきなりロッテンマイヤーは

あーら、私はもうオーストラリア人のようになっているわ!というのを聞いて、とよもは腰を抜かしそうな気持ちになった。

ちなみにオーストラリア人は、陽気で思ったことそのまま言うすごいシンプルなところがある。。なんでも細かいこと気にしない、関係ないよーで終わる。dosent matterポリシー。

とよも、。。。。。え?まじ

ロッテンマイヤーが陽気なオージ気質?

そうは思えへんけど。。。。

 

ということでとよもは3つ言いたいこと言ってロッテンマイヤーは2つを受け入れ一個はとよもが受け入れるということで話し合いは終わった。

とよもは2年間言えなかったことが、家主さんのおかげで言えて、これがブレイクスルーというやつか!となんとなく、いやすごく嬉しかった。

結果また同じに戻ったとしても、家主さんが事前に教えてくれた、そんな言い方されても気にしない、それはただ彼女の問題だから。ということを心に留めたらちょい楽になる、し。

逆にあなたは思い込み激しすぎ、私なら(家主さん)そんなこと気にならないわとかも、ああそうなんかってわかった。

 

ブレイクスルーの前

6月22日に、コロナの時からずっとクンダリーニヨガと瞑想でみんなをサポートしてきてくれてる、Yukie Tsunoゆきちゃんのクンダリーニ・ メディテーションコミュニティ

でマントラや誘導の音が大きくなったり小さくなったりノイズが出たりしてイライラしてしまい。最後の感想も言えずに退出してしまった。

それでゆきちゃんにあやまりのメールしようとしたら、ゆきちゃんから

丁寧な自己観察のシェアは、いつも私にとっての学びに満ちていて、また、瞑想やクリヤを通して変化していく様子を聞かせていただくのは、私にとっても大きな喜びです。

というメールがきてびっくり。とよもの体験をみんなにシェアしてもいい?と聞かれたので、もちろん!と

ほんま何がどうかわからない、、イライラの怒りがブレイクスルーにつながる重たい蓋をしたから開けるものすごい力になってたんや。。。

怒りもたまにはええ事になるんや。。

ありがとうみんな

Dance with Galaxies

新しいネガティブでない脳内劇場

シッター先で猫とくつろいで昨日帰ってきたよ。

もう何も気にしない教、妄想しない教に入る。

音楽聞いて自分の内側で楽しむ。

この2年ずっと戦ってきたものは、昔の染み付いた疎外感から自動的に醸し出される脳内劇場、それってほんまはないものやし。それに集中してしまうと何でも敵になってくるし。

そんなことがわかってきた。

私のトイレットペーパーが、私のいない時に勝手にロッテンマイヤーによって棚の中にしまわれて、ボロボロになってるけど、最初はロッテンマイヤーがこんなにしたんや!とおもたけど、トイレットペーパは勝手にふんわり垂れ下がって勝手に敗れた後しまわれた。という新しい脳内劇場も今朝始まって、

うん?これはなんか新しいネガティブでない脳内劇場やな。

それで朝日に向かって川沿い歩くと、真正面に太陽があってそれはなんかすごい祝福の光りみたいで帰りは太陽が背中を温めてくれた。

それで長いこと会えなかった、打ち捨てられたような家の周りに10匹くらいいる猫の中で一匹いつも膝に乗ってくれる黒猫にも会えた!

久しぶりやん、ガリガリ黒、かっこええ!

ガリガリ君

 

 

 

ガラガラガッシャーン!!

昨日の出来事、とよもは近所に住んでる友達がコロナに感染したので、家にある蜂蜜ではちみつ大根作って届けに行こうと大根もって家に帰った。

ロッテンマイヤーはだいたい昼の1時から11時頃まで仕事に行くので2時過ぎに帰ったらえっ!ロッテンマイヤーがおるやん!

ちょうど出かけるとこやったみたいで。

と:Hi

ロ:Are you coming back? or just visithing?

と:just visithing

ロ:i am going out, lock the key!と言って怖い顔でとよもを見据えるロッテンマイヤー。。やばっ!

ハーイというても返事もなく、帰ってきたん、それとも用事に来ただけ?!そして、出かけるから、あとは鍵かけとき!って。。。そんなん言われんでもわかってるわ!(心の叫び)

なんかいつもロッテンマイヤーからは、私がここを牛耳ってるんやで!みたいな覆い被さられるようなものを感じる、それでとよもの幸せな気分が’瞬間にガラガラガッシャーン!!やで、ハァアアーーー全然大丈夫ちゃうわ。まじ嫌。。。助けて。。。

帰りたくない。。。

このあとここにあった本を何気なく開いてみたら。

すべての人間の人生が

神によって書かれた

おとぎ話である

 

ハンス・クリスチャン・アンデルセン

 

この関連の自分騒ぎはすべて起こってもいないおとぎ話ということ?。。

 

 

自由こそが最初で最後の一歩である

結局ロッテンマイヤーは、この前ブログ書いた、次の日に田舎(田舎の方に自分の家があるけど、そこでは仕事がないので出稼ぎに来てる)から帰ってきたけど、とよもはその次の日にはまたシッターがあったのでうまくかわして一回も顔合わさないで出てきた。

そのシッターは4日間だけやったけど、12月に亡くなったミミさんのオーナーさんがそんなにシェアメイトが嫌なら、私たちが旅行の間、雨漏り当番もかねて家で泊まってもいいよと言ってくれ、5月2日まで一人暮らし中。ありがとうミミさん家族!

高校生手前から下宿生活で、大体それ以降一人でずっと暮らしてきたとよもは(結婚生活は1年半で終わったしね)、誰かといることが苦手でそれは友達でも、家族でも一週間以上になったらなんかストレスになってくる感じする。けどオーストラリアに来て、好きになった人とその彼女と、もう一人で広い倉庫に住んでた時はそれなりに楽しかった。一対一の関係が苦手なんかも。

この雨漏り当番で、心はゆったり、何日土地ストレスもなく、クンダリーニヨガやったり、気功練習したり。買い物に行けば、みんな親切に対応してくれ、ご近所さんには微笑みかけられ。これって絶対自分が幸せやから、相手もリラックスして話しかけてくれるんやと思う。今までは自分がキリキリしてて頭の中はロッテンマイヤーが嫌や!ということで埋め尽くされ、早朝散歩でもその思いは頭の中で繰り返されてたから。。。

何回もそのキリキリ思いを捨てようとしても、それは鍋についた黒焦げみたいになかなか綺麗に出来へん。ネガティブな思いはこんなにも自分の人生を左右するんや。。一年以上そういう状態のまま生きてきて体重も減ってきてたのはそういうことかいな。。。今この自然の中の広い家で自然にゆっくりした毎日過ごしてそういうことに気がついた。

それと結構自分の心を掘り起こした結果、なんか友達にネガティブなこと言うてしもたあとに、ふとそんな自分に気がついて、謝ったりもできるようになってる。この前もそんなことあったな。。

家に帰ってもこのゆったり気分が持続されるのであろうか。。。

ここでまたいつも見てる、mayu1111さんの5月のタロットリーディングを見る。

障害を克服した今、自分の人生を自由に作ってゆく。目に見えない潜在意識を使う。神聖さとつながる。クリエイティブと痛みはセット(そうなんか。。)noと言える力(未だ不安。。)。

このしんどい期間が痛みやったらそれを超えたら自由になる。

自由こそが最初で最後の一歩である byクリシュナムルティ

そうか。なんかもう大丈夫な気がしてきた!

死ぬまで自由、死んだらもっと自由

行動と体験

はーぁ。ロッテンマイヤーのいない自宅ってなんて平和でくつろげるんやろ。。朝もキッチンのテーブルでゆっくりご飯が食べられる。部屋にいてても、キリキリした電話の会話も聞こえない。

でも帰ってくるのが嫌すぎていつもドキドキしてる。

今日もシドニーは土砂降りでサマータイムが終わったとこやのに肌寒い、近所のCOOKS LIVERへの支流がすごい勢いとドドドッーという音を立てながらで川を目指して荒れ狂ってた。いつも歩く川沿いの道も所々すごい水たまりで、歩けないくらいのところもいっぱい。。。

いっぱいいっぱいになって溢れ出すのは、とよもの気持ちと一緒やな。。。きわきわまで頑張って溢れ出す時のパワーってすごいのも一緒やな。

自分でずっと前の投稿読んで分かったのは、いろいろ調べて人の考え方頭に入れても、実際自分が体験せな物事は自分のものにならないということ。

 

それで発見した悪い癖

友達に、今まで言えなかったこと伝えた後、自分が他の友達と話してて、とよもの英語の発音が悪くて相手が何回も聞いたとき馬鹿にされてるような気がしてきて、違うねん!って強く言い放ってしまってた。

オーストラリアに来てから、最初は友達の集まりにオーストラリア人が来るだけですごいストレスていつもそれなら行かないという選択してたけど、途中からそれではあかんってわかってきてなるべく交わるようになって、今は結構大丈夫になったけど、根強い大阪弁英語のイントネーションがこっちの人からしたら、すごい聞き取りにくいらしい。。そういう時でも自分が悪いのに、相手が自分を馬鹿にしてると捉えてしまいむかっとしてしまう。

今回このことがすぐ後でわかって、友達に謝った。

だんだん自分の悪いとこにすぐ気がつくようになって来たかーも。

大切なことは自分が幸せでいてること、自分を自分で幸せにできる力をつけること。

はぁーやっとここまできた。。。

この文章は4月7日に書いてアップするの忘れてたやつ。

ここからまた進化してるとよもに、つづく。

ありがとう、ちょっとこの世界を変えて見せてくれたインディ。

今日は、長い午前中やったなぁ

17歳の友達の猫インディーが今朝亡くなった。

何回もインディーのシッターに行ってた。一週間前も8日間シッターしてたけど、そのときはまだトイレも自分で行っててご飯もすごい食べてた。それから友達が帰ってきて一週間で病状はすごく悪くなって、ちょっと立ってて水飲んでも、すごい息が苦しそうにはぁはぁ少しの間なっててご飯も食べなくなってたらしい。

オーストラリアではクオリティライフが保てない状況になれば、ほとんどの人が安楽死を選ぶ。病気で食べなくなった猫に、日本みたいに強制的にご飯食べさせたりほとんどの人ははしない。それでまた元気になる猫もたくさんいてるのも知ってるけど。。。とよもは自然に任せる派。

今朝7時に獣医が来るから、あなたも来てくれる?と言われて行ったけど全然獣医は来ない、これがオーストラリア。結局10時過ぎに来てくれた。最初にふんわりする薬を注射するときから、インディーは動かせると怒った。獣医さんはもうインディは覚悟は出来てるみたいなこと言ってたけど、最後の抵抗、注射したら数秒で口からポタポタよだれが出て、それでも次の注射も怒って抵抗してた。獣医さんが噛まれないようにとよもはタオルでインディの首を固定して支えて。2つ目の点滴みたいに管のついた注射でゆっくり薬を入れる、入れ終わって数秒で聴診器を当てた獣医さんは、もうなくなりましたといいインディを毛布でくるんで持って行ってしまった。まだ綺麗なグリーンの目も開いたままやった。。。

獣医さんが言ってしまった後、インディーが生きてる数秒前と今では世界が少し変わってる感じがした。

キーツが死んだ時もとよもはそんなにひどく悲しまなかったなぁ。でもこの世界がなんかちょっと変わった感覚を感じたのは初めて。

体がなくなってインディは自由なスピリットなってると思う。

インディと17年暮らしてた友達はよく猫からのメッセージが映像で頭に浮かんでくるらしい。今インディーがどんなメッセージを友達に送っているんかなぁ。

ありがとう、ちょっとこの世界を変えて見せてくれたインディ。

だいぶ前にサマーカットしてふわふわな毛が生えてきてたところ。