越後屋=FOMO (fear of missing out)

越後屋ととよもがあだ名をつけたFOMO写真右 (fear of missing out) 見過ごされることへの恐怖?)フォモはいつも私私と迫ってくるからそういう名前をつけられたらしい。。。

フォモはガリガリの野犬で彷徨ってたとこをシッター先の夫婦の子供が救って、ここで暮らすようになった。いつでも不安げに人の後をついて回っていたフォモにはすぐにこの名前に決まったらしい。

ここに来てからもう6年以上経ってフォモはつも美味しいご飯がもらえるし、近所の広いグラウンドまで散歩でボール投げもしてもらえる幸せな生活やけど、基本的には自己主張が強くて普通の無邪気な犬とは違い、瞳の奥には何かいつでも不安の灯火がチロチロ燃えているような風に見える。

とよもがシッターする時も、ともだちが来た時には友達の足を噛んだりしたてたから常に気をつけてる。

でも今回友達来たとき、『噛まれるから気をつけて』といったけど、その友達は怖がることもなくすぐにフォモと仲良くなった。。最初フォモは唸ってたけど、友達は怖がらないで匂いを嗅がせてすぐに大丈夫になった。

友達は『ずっと犬や猫に囲まれて暮らしてから懐かれる要素があったのかなぁ』とさらりと言ってたけど、ううっ〜て唸られたらとよもは一瞬で怖っ!て思うからすごいなぁ友達。

寝るときはおっきい犬プリンスと越後屋がとよものベッドに一緒に寝るのでなんか家族的でまぁ嬉しい。

あーなんか久しぶりのブログでした。

人間が万物の霊長なん?

とよもは、小さい時から勉強が得意ではなく、劣等感が基本にあった。

でも今考えるとその劣等感はほんまに正しかったん?とか考える。

勉強がでけへんでもきっと他にできることがあるでって、その時は誰も教えてくれへんかったし。

とよものにいちゃんは賢かった。その上鼓笛隊の一番前でなんかぼう振って町内を練り歩き近所のおばちゃん達が拍手してた。。。当時のにいちゃんがいけてるということは他の人にはすごいわかりやすい。

人はそれぞれに得意分野というものがあると思う。

とよもの場合は、手先が器用な親戚のおばちゃんがいてて、小学校の頃から妹と一緒にその親戚のおばちゃんにレース糸でガーゼのハンカチの周りを装飾していくやり方を教えてもらってた。でもそれができたとしても、にいちゃんみたいに町内のみんながすごいやん!というほどは認知されていないという点では比べ物にはならず、劣等感はまたすくすく育ってた。

今考えたら、人はそれぞれ得意分野があるからそんなことは(評価)どうでもええやんって思えるけど、その時代は勉強第一で、すごいやばいんちゃうん私!と思い、そのはけ口として隣の金物屋さんから、釘を掴んで道にばらまいたりしてた。マジやばい。

それでなんでこんな話を今書いてるかというと。

そんなとよもでも今は、ペットシッターとして働いてて、犬や猫、兎たちと同レベルで接してその喜びが分かってきたからかな。

動物達は純粋でそれゆえ一緒にいさせてもらえると何とは無しにその純粋性に心を打たれ、自分ももっとこの方達のようにピュアになりたいもんやなぁと思う。

そういう思いがない時と今では全然違う。

とよもは、ペットシッターとして今、学校で勉強できなかったことをお客様から学べてる。

人にはいろいろな時代があって、しんどい時代にした経験と記憶はいいも悪いもすべて積み上げられていってその人を作ってる。

やさぐれた時代があってもその後に、何かがあって一方的な考えでなく違う考えも受け入れるというか、他に自分の経験してなかったことから、ええっ!こんなことがあるんやって思える時が来る。

動物達の感情はいつもストレートで、嫌は嫌、好きは好きですごいピュア。

とよもがいつも仕事としてシッターさせてもらってる動物達から直接言葉なしに、なるほど!と学ばせてもらったことはそのこと。

ありがとう私のお客様たち

 

 

 

庭は野良猫保護区、猫はなんだかすごい。

すごい久しぶりにブログを書こうと思ったら写真が入れられなく、いつもコンピューターのこと教えてくれる友達に聞いて解決。。はぁー

山の方の別荘に行ってる近所の友達の家の野良猫たちにご飯をあげに行く。

もう4日目くらいで昨日は行くと2匹とも庭の草むらから走り出てきて可愛さ倍増。(お腹すいてるだけか。。。)

ふわふわの方は以前結構荒くれてて、他の猫ともうまくいかないことがおおかったらしいけど、年を重ねた今は普通に他と共存してる。シマシマの方はまだ若く食欲もすごい。大きく口を開けて一回に飲み込む量が見たことないくらいすごい!食べれる時に食べとかな!が野良猫やもんね。

以前は茶色のふわふわとシマシマは気が合わなかったけど、今は庭の小屋の中で2匹仲良く並んで寝てるのが可愛い。ここに住み着いてて亡くなっていった猫もいる。

この庭は野良猫の保護区みたいなもんだ。

猫たちも年数重ねて人間や周りの猫と調和していく、とよももええ加減成長せななぁー。

ありがとう銀河猫協会

シッター先にあった本。嫌いな人の取り扱い方法。へぇーとおもいながら開けてみたら、自分のタイプと嫌と思う相手のタイプをあぶり出して対策方法を教えてくれるらしい。。やってみた結果は。

とにかく相手を避けて通り、我が道を邁進する。という答え。

あなたの誇りを踏みにじるような物言いをする相手に憎しみさえも抱いているあなた。ただこの相手のタイプはプライドを傷つけられたら徹底的にその人物を潰しにかかります。そんなリスクを犯すことはやめ、あなたはコツコツとスキルアップをして相手から離れられるようにしましょう。

まぁどんなことにも、いい面と悪い面があるけど(自分も悪いとこあるという意味)、これも一つの方法かなぁ。というか今がこの感じ。

そして、今月は珍しくシッターは入っていない月で、毎日テンション下がってたら急にメッセージが来た。

今日から数日猫のお世話頼める?って。嬉しすぎ。。

新しいネガティブでない脳内劇場

シッター先で猫とくつろいで昨日帰ってきたよ。

もう何も気にしない教、妄想しない教に入る。

音楽聞いて自分の内側で楽しむ。

この2年ずっと戦ってきたものは、昔の染み付いた疎外感から自動的に醸し出される脳内劇場、それってほんまはないものやし。それに集中してしまうと何でも敵になってくるし。

そんなことがわかってきた。

私のトイレットペーパーが、私のいない時に勝手にロッテンマイヤーによって棚の中にしまわれて、ボロボロになってるけど、最初はロッテンマイヤーがこんなにしたんや!とおもたけど、トイレットペーパは勝手にふんわり垂れ下がって勝手に敗れた後しまわれた。という新しい脳内劇場も今朝始まって、

うん?これはなんか新しいネガティブでない脳内劇場やな。

それで朝日に向かって川沿い歩くと、真正面に太陽があってそれはなんかすごい祝福の光りみたいで帰りは太陽が背中を温めてくれた。

それで長いこと会えなかった、打ち捨てられたような家の周りに10匹くらいいる猫の中で一匹いつも膝に乗ってくれる黒猫にも会えた!

久しぶりやん、ガリガリ黒、かっこええ!

ガリガリ君

 

 

 

海岸で野生にもどる10分弱

きのう勇気を出してプリンスを海で離してみた。他の犬にかまれたりするかも、海の中に入って泳いでてながされてしまえへんか?走ってどっかに行ってしまえへんか?。そんな恐怖はあったけど、他の犬が猛スピードで走ってるのを見てるプリンスはたまらんくなってリードを強く引っ張る。

リードを離したら一目散に他の犬と追いかけあいじゃれあい、海の方につっこんでいく、その時大声で呼んだら一目散にかえってきたやん!

猛スピードで走ってきてとよもの横を擦り抜け止まるからぶつかるんか!とおもってこわかった。でも走ってるあいだにも、プリンスはこっちを見てとよもがおるか確認してたから大丈夫そう。

まだ3歳やし思いっきり走りもしたいよな。他の犬ともあそびたいよな。

そんなプリンスはふだんの散歩に時とは別人みたいにエネルギー超満タン喜びまっくす、野生の血がさわぐ〜みたいなかんじでとよもの気持ちもなんか雲がなくなってしゅわーっと晴れ気分に。これはええけどやっぱりこわいから10分でリードつけたよ。すまんなプリンス。

人はなぜ生きるのか

犬や猫やうさぎは人と話ができないから、とよもは一緒に暮らす動物が何を考えているのかどうしたらいいのかに氣をめぐらせる。

氣=旧漢字の氣は全身から末広がりで八方に広がるエネルギーのことを意味しているらしい。

※第二次世界大戦後、日本はGHQによって統治となります。そのとき、漢字の見直しが行われ、「 」は「 気 」となり常用化され、教科書にも「 気 」が採用されました。

自分の勝手な氣(勝手な氣もあるのか?)を知らず知らずのうちに他人および動物達におしつけてることもある。そのことが回数を増すうちにわかってくる。わかりやすいできごとは猫に構い過ぎ『うざい!』って激しく噛まれたシッター初期。

自分の思う通りにケージに入ってくれないうさぎにイライラしてどうしようもなかった時、もうええわ〜とその氣をすてて(入れという氣をなくし)、じぶんのことをしだした瞬間後ろ見たら、うさぎがひょろっと勝手にケージに入ったこともあったなぁ。

今回の犬のリースは体が大きい、体が大きい分氣もでかいきがする。言葉のかわりに人間みたいに態度や目で語ることもできる。なのでとよもも押つけしない、というか押し付けても微動だにしない。リースは自分の肉体が年老いてきたこということは考えになく体の変化にともなって今そのままを生きてる(これはリースのおかあさんが教えてくれた)。

考えてみたら人間もいらんこと考えて心配せんと、リースみたいに生きたほうがいいかもなぁできたら。それが自然にいきるということか。

 

昨日、ふとみた本棚にあったトルストイの”人はなぜ生きるのか”のなかに

以下抜粋

人にはなにがあるのか=人には愛がある

人には何が与えらえてないのか=人は1年先のことを準備できても、その日の夕方まで生きられないことは知らない。

人はなんのために生きるのか=神は人がばらばらに生きるのを望んでいないので、人それぞれが自分だけのために何が必要かを知らしめていない。人が一緒に生きるのを望んでいるので、自分とすべての人のために何が必要なのかを知らしめた。

人にだけあるとおもわれるもの、それは人は自分のことを考えて生きているが、実は人は愛によってのみ生きているということです。

愛してる人神のうちにあり、神はそのひとのなかにあります。

抜粋おわり

簡単に言えばいつも他人に愛の目を持って生きていったら人は神になるということかなぁ。

逆にいつも他人に愛を見出せず、悪者にしていたらあかんよっていうことや。

氣をめぐらせ愛を持って他をみつめる。

 

いつもシッター先には撒餌さのように、実体験とおつげのような本があるそれはもう、数年つづいてる。

 

 

雲にのっていくとこまで

今朝急に

2007年におかんから借りてた携帯を充電して見てみた。その時のメールと写真、そのなかにはとよもが日本でおかんの看病してるあいだ、シドニーできーつのお世話してくれたともだちが送ってくれたきーつの写真もあった。携帯一個で時間をワープした。

ここはどこ?見たいな気分。

2007年おかん、2010年おとん2011年きーつとみんな亡くなってその4年は特に回りの人たちに助けられてたんやなぁと今はおもう。

もっとさかのぼれは、1993年に始めてシドニーに仕事みつけて、グラフイックデザイナーとして働き始めた時に、ともだちがとよもの誕生日にきーつを連れて来てくれた。

これがその日撮影したものでプリントが残ってたのでそれをさっき複写した。

きーつってけっこういつも、何か悩んでるようなかおしてることおおかったけど、子供の時からそんなふうな表情してる。

そしてこれが、18年後病気になって寝ているきーつ。

元気だった頃バルメインの我が家で

このバックの絵は自分で描いて気に入ってたけどマウントクーリンガイに引っ越しのとき車に積みきれなくてすててきた。上にも黄色い鹿がいる。2匹が一個に重なってる。

今日マウントクーリンガイの家が売りに出された、家主のじいちゃんが去年7月に亡くなってばあちゃんは今ゴールドコーストのじいちゃんの姪の家で暮らしてるというか、ほとんどベッドで寝ている。ので母屋は空のままだったからね。すこしのあいだ、じいちゃんの親戚が住んでたけど。。

この家が誰かに買われたら、とよもはここから出て行かなあかんことにもなるかなぁ。

人生って流れる雲にのってるようなこと?

いったいどうなるがだれにもわからない。そんならそこからみえるものやら触れる物やらの出会いにはありがとうとおもいその今見えてることしてることだけに集中してたらええということかな。

3月19日から30日まで友達と二人展をニュートラルベイのそば屋さん新橋の2階の

Atelier by ReNCOUNTER

シドニー以外に人にも買えるようにします。

 

虹をみつけた猫

ダブルレインボー見た!ラッキーとかよくいわれるけど。朝に庭にシャワーみたいなので空に向かってみずまいてると、いつもそこには虹がある。水の反射がないとみえないけど虹はいつもそこにある。なんかすべてがそうなんちゃうんっておもった。みえないだけでそこにはすべてがある。おわり

おっ!うっすらと見えるで、虹。

純粋なかたがたからのおぼし飯

新年あけましておめでとうでござる。

31日の花火をテレビで見ることもなくぐーぐー寝てしまい。

元旦には友達親子あそびにきてくれて、とよもの茶色い煮物とスモークサモン入り卵サラダ、大根とコリアンダー酢の物、オイルサーディン餃子をつくったけど、どれもお正月感なし。

それで昨日、シッターのおきゃくさーまからのお誘いてお家に行ったら。

なんとまぁ

お雑煮とちらし寿司がたっぷり盛られたお昼を用意してくれていて、あああーここ数年感じたことのないお正月気分をゆっくり食べなから味わせてもらいました。感謝感激ありがとうございます。手ずくりストロベリーウオッカもかっ!といただきました。

昔は家で白味噌のお雑煮だったけど、おすましも美味しい。

だいたいお餅苦手やったのに、なんのその完食。

去年クリスマスにもシッターのお客様にクリスマスランチのお呼ばれ2回あって仕事の関係でここまで親切にしてもらえる体験は初めてでなんかうれしい。

ということでペットシッターは3年越しで、とよものメインジョブに成長。

こういう純粋なかたがたの存在のおかげで、とよもの生活はちょっとらくになってきています。