今朝、友達のブログで今起こってる心の変化の事読んで、とよもがここずっと考えてることとすごく似ていて、自分でなく他の人かそのことを表現してるの読んだらすごいすっきり納得できた。
そのあとすぐに、いつも読んでる阿部敏郎さんのブログをみたら。
以下抜粋
真実の態度とは、痛みが消えるという期待(幸せへの憧れ)を生きることではなく、痛みは消えないという事実を認めた上で、そのあるがままにくつろぐ、この態度こそが「あるがまの自分を認める」ということです。
いまだにあるがままの自分を認められない人の心の根底には、いつかこの痛みは消えてなくなるはずなのに、いまはまだ自分の一部になっている、だから私は自分を認められないという思いがあります。
繰り返しますが、痛みは、苦しみ、悲しみ、怖れ、嫉妬、罪悪感、不安、無気力、怒り、貪欲、攻撃性などの形をとって顕れてきます。
そのような自分は認められないと思っていませんか。
さてそれでは、ダメ押しの悲しいお知らせです。
人生は苦しみである
我々は、決して幸せにはなれない
以上!!!
もしあなたがこの真実を心底から認めたら、あなたの人生は大きく変わります。
幻想から真実にシフトするのです。
でも人は相変わらず希望を持ち、また新しいやり方を探し出します。
世の中にこんなに沢山の「幸せになるアイテム」があるのは、人々が、痛みがなくなれば幸せになれるという幻想を持ち続けているからであり、提供する側も同じ錯覚の中にいます。
あるがままの事実に、あるがままの自分が関わっていく。
そこからしかリアルな成長はありません。
「あるがままを相手にしなければ、リアルな展開はない」 向禅師
まったく同感です。
このような希望を奪うアプローチはいつも否定されてきました。
そうやってまた新たな希望の情報が社会を覆うのです。
決してどこにも行き着かないことに、もうそろそろ気づくべきです。
安らぎは痛みや怖れを手放した結果ではなく、むしろ希望や期待を手放した時に訪れます。
その瞬間、抱えていた重荷が消え去り、このリアルな痛みの背後に、無条件の喜びと価値を見出すのです。
僕たちの本当の精神的成長は、幸福を追求することではなく、幸福への希望を捨てきった時に顕れるという、なんとも皮肉な話をさせてもらいました。
抜粋おわり
そうか、じぶんのやなとこもそのままもってたらえんや。
いい人になりたいなぁとおもうより、やなじぶんもいててそれでええんや
ああーー今こころがざわざわしてきてる、それでいい(なんかくるしい)。